もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ウクライナ和平の動きに思う

2025年03月13日 | 軍事
 ウクライナ紛争に和平の動きが報じられた。
 和平に至る停戦には既にウ・ロの双方が合意した模様ともされているが、和平には領土の割譲が必至とみられていることから、今後とも相当の紆余曲折を辿るだろうと考える。
 3年余に達する紛争で両国は疲弊し、特にウクライナではインフラの多くが破壊されたことや、人的被害の多さから厭戦気分と書けばウクライナ国民に失礼とは思うものの「幾ばくかの領土を割譲しての和平も已む無し」という空気も漂っているらしい。
 停戦⇒和平に至ったのは、主要支援国であるアメリカが、支援の停止に動いたことが大きいように思える。今日のウクライナを明日の我が身とするEUは支援の継続を表明しているものの、アメリカの肩代わり支援は自国経済に大きく影響することだろうし、トランプ大統領の関税恫喝の影響を加えると、停戦⇒和平に同意することだろう。
 幾ばくかの領土割譲しての和平に対しては、紛争当初に「ロシアの望むものを差し出しての和平」を唱えていた識者は「それ見たことか」と快哉を叫ぶだろうが、矢折れ弾丸尽きて膝をつくことを戦わずして屈することを同等に捉えてはならないと考える。
 日本にも、鋼の意志を持つ寡勢を以て衆に善戦した例は多い。
 楠木正成は、千名の守兵が籠る千早城で数十倍の鎌倉軍に抗し、真田昌幸は徳川秀忠軍を上田城に釘付けにして関が原参戦を食い止めた。
 主題に立ち返れば、数週間で陥落するであろうとされていたウクライナが、当初はゲリラ戦で、その後は西側の支援を得て強(狂)国ロシアに3年余も戦えたことは、歴史に大書される戦果と思う。これは偏に、ウクライナ人として生きたいというアイデンティティに基づく国民の継戦意欲に支えられたもので、児孫にウクライナの領土と文化を残したいという意思が結実した結果によるものと考える。
 確かに、ウクライナからも少なからぬ壮丁が国外に出たともされるが、多くは銃を執り、後方を固めて今日に至っている。
 ウクライナ人。良く戦えり!!
 日本有事に戦うと答える壮丁は20%に満たないとされる。残る80%の壮丁諸氏は、ウクライナの現状をどのように見ているのだろうか。

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