艦内が「号令詞」で統制されていることは良く知られていると思う。
未だ海軍の匂いが濃厚で、自衛官=公務員という認識は希薄で、外の世界を「娑婆(シャバ)」と呼んでいた頃(昭和40年代以前)の「号令詞」で、現在では記憶している人も少なくなったであろう思い出の記録である。
食事の準備は「食卓番 手を洗え」と号令されていたが、特に朝食準備では甲板掃除の終了と合わせて「別れ 休め 顔洗え 食卓番 手を洗え」と号令された。まさに乗員をタイトに統制する海軍の空気そのものであったが、号令を聞き知った市民からは「自衛隊さんは号令がないと顔を洗うこともできないのか?」と評判されていたらしい。
2000時(現在は1930時)には、副長もしくは当直士官が、艦内の規律・清掃・火気・健康・衛生状態を確認するために要所を検分する巡検があるが、巡検終了を知らせる号令も「巡検終り 酒保開け 煙草盆出せ」で、就寝前の束の間の開放・休息を許可するニュアンスに満ちていた。
食事と並んで最大の楽しみである上陸(外出)についても、止業15分前に「上陸員 開け」という温情号令があった。この号令で上陸番に該当する者は仕事を止めて風呂に入ることができるという段取りで、鬼軍曹も上陸番の若年隊員を快く配置から解放してくれた。それでも、機関員は、油に汚れた手を洗って、食事して、風呂に入って、制服に着替えて、定時5分前までに整列するためには55分間しかなく、止むを得ずに定時から30分後の「遅れ上陸」にならざるを得ない場合も多かった。
戦闘準備は「合戦準備」と称されるが、当時の「合戦準備 夜戦に備え」との号令も思い出深い。現在では昼・夜戦の区別はないが、当時は探照灯、照明弾、応急照明の準備を入念に確認する必要があったことから令されていたものと思っており、歴戦の強者にすれば当然の号令詞であったのだろう。
当時の軍艦では、プロペラ回転数(速力)を敵潜水艦から察知されることを回避するために、両軸の回転数を変える「跛行(はこう)運転」と云う運転法があったが、「ばっこう運転」との通称で「ばっこう運転始め 右(左)軸 大」と令されていた。その後、跛行運転は長らく「ちんば運転」と称されていたが侮蔑用語であることから「対潜欺まん運転」と変化したものの、マスカ・プレリ装置の装備等で運転法そのものが意義を失っている。
「歌は世につれ」との言葉があるが、海上自衛隊の号令詞も機器装置の近代化や勤務態様・隊員意識の変化によって、よりスマートに変化しているが、号令詞は変われど閉鎖空間に長時間拘束されるという海上生活・艦船勤務の本質は変わらないように思える。
アデン湾での情報・監視活動に長期行動する海自隊員に声援を送りつつ、駄文終了。
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