中国ウイルスの感染予防として、愛媛県新居浜市立小学校が長距離トラック運転手の子どもの登校を拒否していたことが報じられた。
顛末は、新学期開始前に市の教育員会が市内全児童の家庭に「家族や児童が感染拡大地域を訪れたか否か」を問うアンケートを実施し、業務のために該当地域を行動したと回答したトラック運転手の家庭に対して校長が児童の自宅待機を求めたものである。アンケートは、学校がクラスターとなることを防ぐための参考として行ったとすれば許容できると思うものの、校長が感染予防の手段として短絡的に1部児童の登校拒否に走ったことは、児童教育という目的を忘れた所業と云える。感染防止は教育の完遂という目的を達成するための手段の一つでしかなく、不登校者に登校を促す・授業中に私語をさせない・・・等々のうちの一つにしか過ぎない。更に中国ウィルス禍の現状は、差別の排除、任務に挺身する人への連帯、国民の義務等を考え・教育するための教材を現在進行形で提示するもので、人格形成・陶冶の好機と捉えるのが教育者の採るべき道ではないだろうか。昭和40年代に道徳教育の導入に反対する日教組は、「教員は人格者である必要は無く教育労働者である」と定義したが、今回の校長の思考・行動を見る限り教育の本分と目的を見失っている功利的労働者の感が深く、先生と呼べる識見など微塵も感じられない。新居浜市教育委員会の高橋教育長は、校長を断罪することなく「教育委員会と学校との(情報?)共有が掛けていた」との意味不明の言を付して謝罪したことから見て、教育委員会と校長の思惑は同根に基づくでは?、との疑念も捨てきれない。
昭和55年に艦を降りて静岡市に転勤した。長女の幼稚園転園(年長組)に際し、転園先である第一光幼稚園のオミ(漢字表記は失念)先生が「制服や体操服は前の幼稚園の物で結構です。園児には良く言い聞かせますから」と云ってくれた。その後、周囲とはかけ離れた制服のベレー帽を引っ張られた程度のことはあったらしいが、5歳児の拙い言葉の端々は「オミ先生」で溢れ、長じて幼稚園の保育士になったのもオミ先生の人柄が投影しているのかも知れない。今回登校を拒否された児童には新1年生も含まれているが、幼児期と雖もその経験と疎外感が人格形成に大きく影響することも考えられる。報道では、親の職業に起因する差別とされているが、教育の目的を忘れた教員を引き続き教育者として処遇すべきだろうか疑問を感じる。またぞろ校長は個人情報保護の盾に隠れるのであろうが、個人情報保護法を悪人の隠れ蓑にしないためにも”低素質校長が犯した犯罪”と捉えて厳しく処分すべきと思う。
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