面白いが、面白いと書けば顰蹙を買うだろう話題を知った。
本日の産経抄で、《英スコットランドで女性2人をレイプした男性が、裁判中に性別を女性に変更し女囚刑務所に収監された》話題が紹介されていた。
このことは、戸籍上の生物学的分類の「性別」が、ジェンダーと称される心因区別を主体的に捉えることに変化した結果であるが、英国の例では女性的要素が多いと裁判所が認めたとはいえ明らかな「両刀使い者」の管理を託された刑務所は頭の痛いことであろうと思う。
服役経験がある故阿部譲二氏の著作では、オカマさん(男色)受刑者の嬉々とした姿と反対に頭を痛める刑務官の姿を描いていたが、英国の例を見ると安倍氏は近未来を描くSF作家であったのかもしれない。
日本でもLGBTなどの性的少数者の保護や同性婚容認のための法整備が進行しているが、出来具合によっては早晩にスコットランド模倣犯が現れることは確実であるように思える。
国会におけるLGBT関連の論戦を眺めているが、どうも議論が噛み合わぬ原因は、従来の法律が性悪説に基づいて策定されているのに対して、LGBT関連法については「性の自己申告という性善説」を根底にしなければならないというジレンマ乃至は不安に政府・与野党とも戸惑っているのではないだろうか。
性の区分変更について、かって作家の梶山季之氏は異なる性に目覚めることを「どんでん」と紹介し、それを周囲に明らかにすることを近年では「カミングアウト」と呼んで軽く捉えているが、こと法律で区分けする場合には単なる「自己申告」で済ますわけにはいかずに然るべき医学的証明が必要になるのだろうものの、犯罪者に対して刑事責任判断の有無を調べる鑑定留置が長期間に及ぶことや、鑑定結果も医師によって正反対であることも多い現状を見るとなかなかに難しいように思える。
都市伝説であろうが、医師は交通事故者に「首が痛い」と言われればレントゲン写真に異常が無くても「むち打ち症」の診断書を書き、情緒不安定を訴えられれば「○○疾患で要安静」の診断書を書くとされている。このことによってであろうか、不法な保護や給付を受けたであろう事例も多く報じられている。
真意・言い回しはともかく、岸田総理の「このことによって社会が変わる」は真実であると思う。右へ倣え式の「(欧米・先進国)ではの守」ではなく、日本の文化は何であり・何に依っているのかを見極める法整備であって欲しい。もし、全くのジェンダーフリーーが日本文化を覆すとなったら、世界唯一の同性婚禁止国であっても構わないと思っている。
どちらの側に立つとしても、この問題は意見を述べるのに勇気が入ります。
明快な意見を述べられた勇気に、敬意を表します。見習いたいと思います。
形を変えつつあるとはいえ、日本の家族制度や血統を残したいという文化は根強いものと思っています。
LGBT排除や攻撃は慎むべきでしょうが、日本が彼らに対してキリスト・イスラム国家程の迫害をしなかった歴史・文化を考えれば、冷静に議論して欲しいと願っています。
また、同性婚反対者を「人非人」と一刀両断する風潮はあってはならないとも考えます。