もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

進まぬ改憲論議と私学助成

2017年10月20日 | 社会・政治問題

 有権者を過度に刺激しないため、憲法9条の改正を目途とした改憲を表立って訴える候補者が少ないそうである。

 国民に改憲の是非を問うことは、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法を整備した自民党にとって1丁目1番地のはずであり、北朝鮮と中国の暴挙を阻止するためにも改憲と準備が必要な時期に来ているのにである。今回の選挙は政権選択の選挙であるとともに憲法改正の是非を問う選挙と位置づけ、改憲発議のために我々(自民党)に2/3の議席を与えてくれと訴える方が、有権者には分かり易く衆院解散の大義としても十分な説得力を持っていると思う。改憲を明確に主張しないままの総選挙の結果自公で2/3の議席を獲得して改憲を発議した場合も、改憲に対して国民の審判を仰いでいない政権には発議する資格がないとの反対論が噴出するのは過去の憲法論議を見ても明らかである。改憲を公約しない政権が改憲を発議することすら問題はなく、発議された改正憲法を審査するのは総選挙とは別の国民投票と憲法に明確に規定されているにもかかわらずにである。黄土に濁った黄河の水が澄む僥倖を待つ無駄(百年河清を俟つ)、自衛隊を憲法に記述することが戦争につながる杞憂(天がいつ落ちてくるかと恐れた故事)、歴史上に小田原評定を戒める警句は溢れているのに、改憲論議が一向に進まないのは、改憲に伴って派生するかもしれない事柄に責任を負うことを恐れる議員の存在に帰すると思うが、護憲についても同様の責任があることを分かっているのだろうか。また、アメリカの押し付け憲法制定後70年、自衛力保持後65年、自衛隊違憲論者と護憲論者はこの現実を何と見るのだろうか。

 紛れもなく違憲である私学助成については自衛隊の存在と異なり全く議論されない不思議を考えると、"護憲唱者"の脳裏には憲法違反しても許される軽重基準があるのだろうか。


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