もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

緊急条項賛成72%。今でしょ!!

2022年04月19日 | 憲法

 産経・FNN合同の世論調査で憲法に緊急条項を設けることに72%が賛成したと報じられた。

 賛成者の詳細では、支持政党別では自民:84%、維新:85%、立民:60%、無党派:63%、年代別で最も高かったのは30代の82%、最も少なかったのは70代以上の68%と分析されている。
 このことは、もはや「公のために私欲を抑える」という「傘かしげ」の美風に期待するだけでは、国が立ち行かないのではと考える人が過半数を占めて来たことを示しているように思う。
 この数字を自分流に解釈すると、70代以上に現状維持の姿勢が強いことは、既に改憲というハードルを乗り越える気力を失うとともに、現行憲法でも「何とか遣れてきた」経験を若年者に強制することが正しいという押し付けがありはしないだろうか。加えて「アト10年程度の存命中は大丈夫だろう」という消極もあるように思える。
 反対に、30代にはこれからの長い人生を考えれば何とかしなければという焦燥感もあるだろうし、親世代の退嬰的な軛からン逃れようとする意識もあると思っている。
 立民の泉代表は街頭演説で「皆さんを「外出禁止令」の下に置くような日本にしてはならない」と述べ、立民支持者ですら60%を示す多数意見を民意と捉えない姿勢を固持し続けるようである。
 立民はかねがね、民意を恣意的に解釈・取捨していると思っている。世論調査で自党に反する意見が大勢を占めた場合は「たかだか1000人のサンプリングでは民意と云えない」を常とするが、自党の主張に賛成者が多い場合には民意が示されたとすることも常としている。総選挙の惨敗を受けても、敗因は「主張を浸透できなかった組織力の不足」と総括するのを例とし、根本的な主張が時代の進化に適応しているか否かを議論した形跡はない。

 東進塾講師出身の林先生は「今でしょ」のフレーズで一躍時代の寵児となったが、立民の辞書で「今でしょ」は「火事場泥棒の類義語」と記されているのではないかと思う。
 集団安全保障体制を持ち得なかったウクライナはロシアの侵攻を受けたものの、クリミヤ併合を機に進めた国防の強靭化によって、粘り強く抵抗し得ている。
 フランス大統領選では、移民排斥を是としてEU・NATOからの脱退も視野に入れるルペン候補がマクロン氏を猛追・肉薄している。
 このように、多くの国の指導者は「今」への対応に腐心し、国民も「今」への対応を求めている。
 立憲民主党が「今でしょ」に目覚めない限り、政権交代など夢のまた夢で、現状維持を墨守する頑迷な高齢者の死を考えれば、年を追うごとに支持率が低下して「第二の社民党」になるのは避けられないとするのは、老右翼の戯言であろうか。


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2 コメント

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政治家について思うこと (Badman)
2022-04-19 18:40:53
大変面白く読ませていただきました。

1945年に日本が降伏してから今年(2022年)で77年経ちました。その間日本は平和であったため「平和ボケ」という言葉が生まれました。
でも、憲法に緊急条項を設けることに賛成者が72%なのは、今回のロシヤのウクライナ侵攻が脅威と不安を与えたからでしょう。

各政党には結党の精神や思想があり、党の綱領や政策はその表れであります。
国民の不安に応えなく、従来どおりの演説を述べる立民の泉代表の例を出されましたが、武力を嫌悪する政党としては当然の発言だと思います。

政治家が思想を変えるとは、仲間や世間の人達を裏切り、自分の人生を否定する行為です。それにバッシングも激しいでしょう。これ程怖いことはありません。

共産党員は共通の思想を堅持し団結しているため、政権を掌握するためには綱領と矛盾する手段も当然だと思っています。
今回の「急迫不正の攻撃に対しては、自衛隊の活用を含む全ての手段で対応する」の声明はその表れであります。

政党間を渡り歩く政治家がいますが、政党を会社と捉え、人気の無い会社から有る会社に転職したと思っているのでしょう。何か軽い人のような気がします。

政治家は頻繁に街頭に出て大いに思想や政策を語り、そして聴衆の質問に応えてもらいたいものです。直に政治家に接して本物かどうかを知りたいからです。

40年ほど前、河野洋平氏が広場で通行人に話しかけるように政策を述べていました。しばらく聞き入って「上手いものだな」と思った憶えがあります。

政治家とは「舌先三寸で天下国家を論じ、聴衆を動かすものである」と思います。
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Unknown (Unknown)
2022-04-20 10:56:17
Badman 様
卓見を有難うございます。
政治家・思想家の主張が変化することについては、熟考・思索の結果であれば可と思います。
過去には高山樗牛、北一輝や共産党除名者のように主張を変えた人がおり、宗教者にも棄教・改宗する人が少なくないようです。
このような在り方を「易経」は「君子豹変」と擁護・評価していますが、「小人面革」と続けて、例えば沈み行く社民党からの離党者、希望の党から立憲共産党への鞍替え者のように主義主張に依らず単に保身のために看板に靡いた政治家は評価するに当たらない以上に、糾弾されてしかるべきと考えます。
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