もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

現状維持政党

2023年04月21日 | 憲法

 20日に開催された衆院憲法審査会の応酬が報じられた。

 前回に続き9条を中心に議論したと報じられているが、半世紀以上にも亘って混乱している条文に関する議論としては不毛かつ低調であったように思っている。
 自民・維新は「9条の2」を新設して自衛隊を明記すると正面から向き合っているが、その他の政党にあっては国家・軍事・憲法を理解していないかのようである。
 公明は「憲法5章「内閣」の72・73条を改正し内閣総理大臣の職務として自衛隊を記載」と主張しているが、近代国家にあって行政府の長が国軍を私兵化することも可能な憲法を持つ国は無いと思う。
 それ以上の驚きは、立憲民主党の吉田晴美議員が「中国などが自衛隊の明記に反対している。書かないこと・問題にしないこと・言わないことなど、絶妙なバランスで外交は成り立っている」と主張したことである。云うまでもなく憲法は、日本国の正当性と国民のアイデンティティを世界に発信するものであって、吉田議員の「日本国憲法は外交ツールの一つで中身の無い玉虫色がベスト」とする主張は、憲法自体の尊厳を損なうものであると同時に、その姿勢は戦後長きにわたって自民党政権が採り続けた「軋轢を避けるためにNOを言わない」姿勢で・野党が攻撃し続けた姿勢に他ならないと思う。
 公明・立民の国家観と軍隊に対する退嬰姿勢は際立っているが、特に立民の「中国の懸念」云々に至っては日本人としての矜持すら失ったかのようである。他国配慮を最重要視する憲法を持っている国があるのだろうか。これらのことを念頭に置いて憲法学者を自称する参院の小西洋之議員は衆院憲法審査会を「サル・蛮族の集団」と嘲ったのかも知れない。

 1946(昭和21)年の公布後76年が、憲法9条に関心が集中した警察予備隊の創設からでも70年が経過した。憲法討議の変遷を観ると、1956(昭和31)年~1965(昭和40)年に内閣に設置された憲法調査会、2000(平成12)年~2007(平成19年)各議院の憲法調査会、2007年以降は後継の両院憲法審査会となって議論が重ねられているが、未だにこの体たらくを観ると、真剣に論じたとはとても言えないように思う。

 マッカーサー草案起草者の一人は、後日《しかるべき時期に日本国民が改正するだろう》と述べたと伝えられ、東京裁判のパール判事(インド)とレーリンク判事(オランダ)は《戦後の狂気が収まった時、日本国民は正常な判断をするだろう》と述べられているが、憲法を有るべき姿にする試みが頓挫しているのは、牙を抜かれた我々世代が《困難な変革と改革から目をそらしてしまった》当然の結果であるのかも知れない。


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