もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

立民の検証PTに期待

2023年02月03日 | 野党

 立憲民主党が「失われた10年」検証プロジェクトチーム(PT)を立ち上げた。

 検証PTは、2月1日に安住国対委員長が明らかにしたものであるが、翌2日には初会合・省庁ヒアリングとこれまでの立民に類を見ない電光石火の展開である。
 PT設置の発端は、民主党政権が提案した児童手当の議論で当時野党であった自民党が所得無制限の原案に反対したものの、今回岸田政権が所得制限撤廃に転舵することで「それ見たことか。民主党には先見の明があった」と印象付ける狙いとされている。
 組織では、計画⇒実施⇒検証⇒計画・・・の無限連鎖が必要とされホボ全ての組織で行われているが政党では「言いっ放し」が常態化していたので、今回の検証PTが「動機においては聊か不純」ではあるものの、政治活動における責任の取り方としての範となるとともに、他党も倣って欲しいものと願っている。
 民主党政権以降に定着した感のある「失われた10年」・「空白の3年」は、旧民主党議員にとっては耐えられない屈辱であったであろうが、今、立民が民主党政権の先見性を検証しようとすることには違和感も感じる。
 2017年の民進党解党時に「引き取り手が無く路頭に迷った議員」の受け皿として枝野氏が立憲民主党を立ち上げた際には、「民主党(民進党)の衣鉢を継ぐ」と宣言するどころか「呉越同舟的民主党とは異なった(革新コアの)政党」と述べていることを思えば、今回のPT結論で民主党の手柄を立民が横領・利用とすることになりはしないだろうか。戦国時代には差し紙の無い兜首を我が手柄とすることを「拾い首」と蔑まされたとされるが、旧民主党所属議員も在籍する国民民主党に一片の仁義も無く立民の先見性と結論しようとの試みは「拾い首」にも近いように思える。

 「失われた10年」の検証に、文化大革命の紅衛兵さながらにマニフェストを翳して呼号した、「コンクリートから人へ」・「最低でも県外」・「消えた年金」の検証や、「東日本大震災の行政」に関する検証が含まれるのだろうかと疑問視もしている。
 また、幾許かの利益が期待できるPTは電光石火に始動したが、維新との共同歩調でネックとなっている反撃能力保有の可否に関する党内意見の集約は2か月経った今でも報じられない。
 さらに、立民幹部が《PTの狙いには理解を示しつつも「自己満足で終わらなければいいが」と述べた》とも報じられていることを思えば、なにやら行く末に暗雲が漂うとともに尻切れトンボの自涜行為に終わる危険性も無しとしないかも。


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