「鋳物工場(再掲・製作中)」
「グレージング」という技法を本で読みました。薄く溶いた絵具でオーバーレイを掛けた後、ハイライトを再度描画することで絵に深みが増すとのことです。早速、前掲の絵に試してみようと考えていますが如何なりますことやら。
「基本的な技法を習ってみては・・・」と勧める妻に、《最初に油絵を描いた人には、先生などいなかったんだ》と啖呵を切った自分が恥ずかしい限りです。徒然草に曰く『何事にも先達はあらまほしきなり・・・』と
嗚呼、70の手習いの路遥か!!
「鋳物工場(再掲・製作中)」
「グレージング」という技法を本で読みました。薄く溶いた絵具でオーバーレイを掛けた後、ハイライトを再度描画することで絵に深みが増すとのことです。早速、前掲の絵に試してみようと考えていますが如何なりますことやら。
「基本的な技法を習ってみては・・・」と勧める妻に、《最初に油絵を描いた人には、先生などいなかったんだ》と啖呵を切った自分が恥ずかしい限りです。徒然草に曰く『何事にも先達はあらまほしきなり・・・』と
嗚呼、70の手習いの路遥か!!
権益の世襲(固定化)、衆愚政治並びに農村の疲弊(地方の衰退)が格差社会を生み出している。
これは、現在の世相かと思いきや昭和初期の世相である。次の詩は『青年日本の歌(昭和維新の歌)』の2番の歌詞である。作詞者は、海軍少尉《三上卓》であり、少尉は歌詞で憤慨するのみならず、5.15事件の実行者となって明治維新のごとき改革をめざした。暴発については一考の余地あるものの、歌詞に詠われた心情は現在においても改革の原点に通じるものがあると考える。
当時にあって海兵出身者は栄達を保証された超エリートであり、そのエリートが悲憤慷慨した格差社会がどのような経過をたどったかは周知のとおりであるが、現在の格差社会はどんな未来を見せてくれるのだろうか。
2 権門上に傲れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思う心なし
原発の再稼働が加速されている。
人類にとって、電力確保の最善策は原子力に依らない発電方法でしょうが、脱原発論者が「脱原発先進国」として引用するドイツでは、約30パーセントの電力を隣国の原発推進国であるフランスから購入し、なおかつ再生可能電力利用のために国民が従来の2倍の電気料金を負担していることは殆ど知られていない。
また、再生可能発電には、送電網の整備、電力の安定供給、電気の質(波形・電圧変動率・周波数etc)等々の問題があることも案外等閑視されており、さらに火力発電は、温暖化ガス排出と資源枯渇の問題を抱えている。脱原発のためドイツ並みに2倍の電力料金とすることは、消費税率2パーセントアップの負担どころではないことからも、原発の再稼働は電力確保の次善策として必要不可欠ではないだろうか。
フジTVの「トクダネ」で学校給食のレポートがあった。
戦後の寒村に育ち、米軍放出の脱脂粉乳しか給食経験がない無給食世代にとって画面に映る給食は、まるで別世界の感があった。しかしながら生徒の反応は、「冷たい」「美味しくない」が代表意見として取り上げられコメンテーターの意見も「もっと美味しく」「もっと努力を」であったように感じられた。
しかしながら、発言者は一様に「外食と比べてのイメージ」で、発言されていたのではなかろうかと疑問を感じた。世の平均的な家食のランチはどの程度か分からないが、夕食の残りのカレー程度の軽食が主流ではないだろうか。もちろん美味しい給食が提供されることは望ましいことであるが、自分が払う給食代と市価の飲食物を対比する議論と教育は行われていないのだろうか。
飽食の時代であっても、給食は、「一部の生徒にとってはかけがえのない価値を持っている」という視点をも併せて望むものである。
タリバンによる学校襲撃テロが起こった。先週のノーベル平和賞の受賞スピーチに感動した矢先で、イスラム原理主義者の復讐の感が強い。
古今あるいは洋の東西を問わず、教義・定義の解釈を頑迷に固陋する「原理主義」的な思考や行動は随所にみられる。
自身を顧みれば、程度の差こそあれ、自分の思考と解釈にこだわる排他的な言動は歳を重ねるごとに強くなっているように思われる。他の価値観にも耳を傾ける柔軟な言動を心掛けたい。
それにしても、児童の殺戮行為は許し難い行動である。