米軍普天間基地機能移転の賛否を問う県民投票が、全県で実施できる見通しになったことが報じられた。
先に県内の5市が不参加としたのは、賛否の2者択一式設問を疑問視したためであり、県が「どちらでもない」という第3の選択肢を入れた3択方式に譲歩したことで全県投票ができる見通しになったとされている。しかしながら「どちらでもない」という設問は全く意味をなさないものではないかと思う。データを使用する場合、移設反対派は「消極的反対」とカウントするであろうし、推進派は逆に利用するだろうと思う、第一「どちらでもない」と投票するために投票所に足を運ぶ有権者は少ないだろうと考えるものである。玉城知事を始めとするオール沖縄が真に民意と程度を測りたいなら、「やむを得ない」を加えた3択とする方がまだしもと思うものである。本日は本件に関する報道、特にニュースショウで放映される「街の声」なるものの不確かさである。辺野古移設に関する多くの番組で放映される「街の声」なるものは、沖縄県に定住している人だろうか、沖縄の何処に住んでいる人だろうかが明らかにされないままに賛否を述べている。普天間基地を抱える宜野湾市民、移転先の名護市民、尖閣諸島への中国侵略の矢面に立つ石垣市民では辺野古移設について、オール沖縄・玉城知事とは若干の温度差があるのではないだろうかと推測すれば、なにやら総力を挙げて民主党政権樹立のための印象操作に狂奔した時代が思い出されるものである。これは自分一人の考えではないと思えるのは、昨日の「ニュースZERO」では、質問を受ける人を県内居住者に限定し、更には名護市民で直接的に経済的な余慶を受けるであろう人にもマイクを向けていたことで、メディアにも偏向報道・一色報道を自省する動きを感じたからである。成田闘争や百里基地闘争で抵抗小屋にこもった活動家の多くが、空港建設や基地拡張によって土地を奪われる地元民ではなく中核派や共産党のオルグ・一坪地主で占められていたことが明らかになっている。国の施策に反対する住民運動は支持するとともに尊重されなければならないが、住民不在の地元運動であってはならないと思う。今、沖縄で埋め立て工事阻止のためにピケを張っている人や、ジュゴンやサンゴの海を守れと主張する人の構成に同様の図式は無いのだろうかと危惧するものである。尖鋭な成田闘争では空港規模の縮小を勝ち取ったものの、今では中途半端な規模の国際空港としてハブ空港としては韓国の仁川空港に後れを取る原因となっているとともに、羽田空港機能拡充のために東京市街地上空の飛行ルートをも選択せざるを得ない遠因ともなっていることを、当時の活動家は何と総括しているのだろうか。
ニュースZEROでは30代と思しき名護市民が、地域内では賛否の主張によって仲違いしている現状を嘆いていた。かねてから本ブログで、2極対立の構図を地域社会に強制することはコミュニティの崩壊に繋がるとしているが、既に沖縄ではコミュニティ内に波風が立っているのかと思えば、賛成者を村八分して沖縄の良き風土の存続を顧慮しない玉城知事の姿勢に、首長としての疑問符を感じるところである。