流石に気がめいって来る。もう10日ほど、雨や曇りの日が続いている。
安価な中国製の小さなソーラーパネルでは、曇りでも毎年毎年、発電量が落ちてくる。去年は曇りでも、充電電池くらいは充電出来た。今年はさっぱりだ。もう経年劣化が始まったのか?
もっとも、人間の目では曇りに見えても、機械の目(ソーラーパネル)には、十分な発電まで至らない光量なのだろうか。これが現実である。
いくら他の季節や(例えば夏場に)や晴れの日に十分な発電が可能だとしても、電気は貯める事が出来ない。仮に蓄える事が出来たとしても、そこにはパネル以上の設備投資が必要になる。
僕がベランダに設置する小さな50wパネルでも、バッテリーやコントローラ、さらには交流機器を使うためのコンバーターが必要となる。
去年は50wパネルで、コントローラに付属のUSB端子にマルチ充電器を接続すれば、ニッケル水素電池の単3タイプが軽く4本充電できた。夕方には満充電になったものだ。 今年はダメだ。 まず同じ位置にパネルを設置しても十分な電力が得られない。 そんな日々が続いている。せいぜい、バッテリーの保守充電くらいのものだ。要は、実際の電力供給としては役に立たないわけだ。
今、中国でのパネル製造が物議を呼んでいる。 そのコストダウンの方法が問題なのだ・・・。この問題は、綿製品も同じ構図だ。背景に脱中国の問題があるのかもしれないが、僕の使っている小さなパネルなど、目くそ鼻くそ程度の問題で済んでしまう話だが、屋根や、ソーラー田に使用されている大規模ソーラーだと、事は深刻さを増して行くだろう。 ソーラーバッテリーは永遠ではない。寿命の違いはあれど、あくまでも消耗品である。消耗品である以上は、必ず取り換えの時期が来る。果たしてその時に、いかほどの体力が残っているだろうか・・・。
10年20年先の未来に、残された人々がその付けを払う事になるのだろうか?
外資には、そこに住まう人々への配慮など残念ながら感じられない。それは過去の歴史を垣間見れば明らかである。
宇宙に浮かぶ人工衛星にもソーラーパネルは使われているが、その耐久性は地上で普及しているパネルと比較すれば雲泥の差。雲泥の差ではあるが、寿命と共に衛星も大気圏で燃え尽きるのだから。そのスパンを知れば儚さもわかるだろう。
ソーラー技術も一般に普及して10年程の事ではないだろうか?この先10年で何が起こるかなどまだ正確にはわからない。確実に言える事は、火力発電の5倍以上のコストがかかる発電である事は間違いない。火力発電とのコストの差額は誰が負担しているか?
それは恩恵に無縁な人々からの税金であり、電気代から搾取されているのが現実である(再エネ発電賦課金)。 もやは、まやかしも効かなくなるのでは?
庶民にはまやかしの技術しか普及されない。 なぜなら、まやかしでなければ、買い替えや消耗が起きないから。 それを奇麗な言葉で永続可能とか再生可能と呼ぶのである。 本物は「循環」ではないだろうか?
自分の身体を生かしたもう循環を感じれば理解できるのではないだろうか。おっさんのボヤキでした。