Markus Rehmの話に戻ると、実はこうした議論は過去にも巻き起こったことがある。「射撃の選手がメガネを掛けることはフェアといえるのか。選手の力を器具によってサポートすることはある種のドーピングのようなものではないか」と物議を醸したのだ。もちろん現在はアスリートがメガネやコンタクトで視力を矯正することは認められている。ここから、当時と現在とのメガネに対する感覚の違いが垣間見える。
「私たちはサイボーグ化されている」と為末氏は言う。「私たちは日々何らかの道具に頼りながら生活している。たとえば記憶しきれないものをノートに書いたりスマホにメモしたりして記憶をアウトソーシングするように、道具がないと日常生活もままならない人は多い。健常とは何か、人間本来の体とは何か、義足を作っていると感じる」
健康という言葉も健常同様に定義が難しい。「健康と不健康といった一見相反する状態も実はグラデーションの濃淡であり互いにいったりきたりする。そこに予防医療のテーマが隠されているのではないか」と為末氏は語る。健康でなくなる様々な要因は健康な状態のときにもひそんでいるからだ。常に健康と不健康を行き来する私たちに、医療はどこまで関わりを持つのだろうか?
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