ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者にも選ばせて

2016年06月28日 02時25分19秒 | 障害者の自立

 参院選の舌戦が続く中、目が不自由な秋田市の男性(74)は「投票先を選ぶための情報がそろわない」と肩を落とす。
 生の声が聞ける選挙カーや、主張を比較できる拡大文字版の選挙公報、音声CDなど、視覚障害者にとって、候補者の情報を得る手段は限られる。
 だが、選挙カーは郡部だと通る機会は少ないし、素通りされたら訴えを十分に聞けない。拡大文字の公報などは県選管に申請しないと手に入らない。しかも予算は限られ、今回、秋田県内で発行された拡大文字版の公報は60部、音声CDは20枚、点字訳版の公報は130部だった。
 県内には3月末現在、3182人の視覚障害者がいる。今回発行された公報は全体の7%にも行き届かないことになる。
 大変なのは情報収集だけではない。郡部ならではの問題もある。
 投票所までは遠く、公共交通も十分ではない。字が書けない視覚障害者は投票所の立会人らが代筆し代理投票できるが、「小さい集落だと、誰が誰に投票したのか、うわさになりかねない」と心配する。
 ここ数年、糖尿病などで失明する人が増えている。「バリアフリーな選挙」をどう進めていくか。身近な問題として、きちんと考えていかなければならない。

2016年06月27日   河北新報


障害者スポーツ 観衆から声援

2016年06月28日 02時18分39秒 | 障害者の自立

 名古屋市で26日に開かれた陸上日本選手権で、パラリンピック種目のレースが行われた。第100回を迎えた大会で初の試み。今年のリオデジャネイロパラリンピックの選考とは関係ないが、東京五輪・パラリンピックを4年後に控え、障害者スポーツを多くの人に知ってもらうのが狙い。義足や義手を着けて懸命の走りを見せる選手たちに、スタンドの観衆から大きな拍手が送られた。

 片足を切断するなどした選手によるクラス(T44)の男子100メートルでは3人が出場し、トヨタ自動車所属の佐藤圭太選手(24)が11秒83で優勝。自身が持つアジア記録11秒82まで100分の1秒に迫る好記録で、「歓声をいただいて気持ちよく走れたので、これだけのタイムが出た」と笑みを浮かべた。

 中京大2年の池田樹生(みきお)選手(19)が12秒19で2位。自己記録を大幅に更新し、「すごく楽しいレースだった。東京パラリンピックの会場を満員にできるように競技レベルを高めていきたい」と意気込んだ。

 このほか、車いすの選手による男子1500メートルも行われた。

パラリンピック種目の100メートルT44で優勝した佐藤選手(右)と2位の池田選手(26日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアムで) 

パラリンピック種目の100メートルT44で優勝した佐藤選手(右)と2位の池田選手

2016年06月27日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

「入居時にまず買うのは靴」 60歳超の精神障害者専門のグループホーム

2016年06月28日 02時12分14秒 | 障害者の自立

 60歳以上の精神障害者専門のグループホーム「おきな草」「福寿草」(横浜市保土ケ谷区)が2017年3月、同市による3カ年のモデル事業を終える。介護や医療的なケアにも対応する点が注目され、各地から視察が絶えない。高齢化した精神障害者の住まいの確保は全国的な課題であり、法制度としての対応が求められている。

  看取りも対応

  障害者総合支援法に基づく両グループホーム(GH)を運営するのは「NPO法人西区はーとの会」(三宅義子理事長、横浜市)。「在宅生活が限界に達した人が入院しなくて済むように」と始めたが、実際は精神科病院からの退院者が多い。

  入居者は車いすを使う人、胃ろうを設けた人など介護の必要な人ばかりだ。障害報酬とは別に横浜市が年間1500万円ずつ独自に助成し、看護師を含め職員は一般のGHよりも手厚い。

  定員は計16人。2014年3月の開設から今年5月末までに計19人が入居した。その平均年齢は71歳。入居後不安になり、大騒ぎした人もいる。入院歴67年の人を含む3人をGHで看取った。

  「GH入居時にまず買うのはその人の靴。ほとんどの人は靴を持っていない」と話すのは、管理者の櫻庭孝子さん(精神保健福祉士)。妄想、徘徊、転倒といったリスクのある人が多いが、リスクを理由に外出をなくすことはしない。

  介護保険も利用

  要介護5の人も多く、訪問入浴、訪問リハビリテーションなど介護保険サービスも使う。医師も診察に訪れる。2時間ごとのおむつ交換や居室の見回りは欠かせない。だからと言って、効率よく介護をこなすことを良しとはしない。

  食事介助にも時間をかける。発語のない人が好物のせんべいを食べて「硬い」と話したりすることに価値を置く。看取り期の人のベッドサイドで、ボランティアが歌ったこともある。

  「亡くなった人の衣類などの私物は家族がなかなか引き取りに来ない。面会に来る家族も少ない」と櫻庭さん。だからこそ「せめて最期だけでも人間らしく」と考える。

 1・8万人の退院先

  横浜市は両ホームについて「十分やっていただいている」(障害支援課)と評価。しかし、17年度以降どのように両ホームを継続するかは未定という。

  精神科病院に1年以上入院する長期入院患者は、全国で約20万人(12年6月末)。厚生労働省は17年6月末までにこれを18%以上減らす目標を掲げ、自治体の障害福祉計画もそれに沿っている。

  それを前提とすれば、65歳以上の長期入院患者約1万8000人超の退院後の受け皿が必要になる。特に介護の必要な人の場合は、受け入れ先を探すのが極めて難しい。

  櫻庭さんは「自宅で暮らしても、見守りが途切れたら大きな事故になる。私どものようなGHは全国どこでも必要だ」と強調する。

  厚生労働省は今後、GHを重度障害者向けにする方針。18年度の障害報酬改定での対応が注目される。

2016年0627   福祉新聞編集部


支え合いの橋懸けたい 週のはじめに考える

2016年06月28日 02時04分04秒 | 障害者の自立

 医療職だった難病の女性が、障害者らの生活を支えるNPO法人を立ち上げます。“両方”の当事者経験を持つ、その取り組みが問いかけるものは。

 全身の筋力が低下する難病「重症筋無力症」を患って、もう十年が過ぎました。

 名古屋近郊の愛知県尾張旭市で暮らす押富俊恵さん。先月末、三十五歳になったばかりです。

 発症時は、病院勤めの作業療法士。リハビリに励む患者たちの背中を押す立場でした。

 症状が進み、やがて仕事を離れることに。でも幸い、気管切開手術のあと、言葉が出た。だから日常会話には、そう困りません。

物言えぬ弱者に無頓着

 今は人工呼吸器と車いすの在宅療養生活で、介護ヘルパーの世話がいります。呼吸器が外れれば命に関わり、ヘルパーがいないときは同居の母親を頼る日々です。

 そんな彼女が弱者支援について考え始めたのは二年半ほど前。母親が長期入院したときでした。

 ヘルパー時間の拡大を求めましたが、行政窓口に当初「前例がない」と渋られたのでした。

 公的制度は得てして複雑です。たとえば障害福祉サービスも、声をあげなければ、必要な支援を受けられぬ人がいる。

 患者らへの説明・相談体制や制度がかつてより格段によくなったはずの病院などでも、実際には医師や看護師らに気後れし、本音を口に出せぬ人がいる。

 しかし、そうした現実に、行政や医療の現場は、存外、無頓着なのです。

 医療職だった押富さんは「治療と介護」を受ける立場になって、制度と現実の“溝”を身をもって知ったのでした。

 実際に障害のある人たちや病院の事例について調べてみました。

両方の立場知ればこそ

 すると、福祉支援の窓口相談をためらっている人、制度自体を知らない人など、身近にけっこういるのです。

 病院でも「入浴予定をずっと忘れられていた」「検査と食事の時間が重なることがしばしば」などと、こぼす入院患者らが…。

 患者にしてみれば、入院は非日常の生活です。できるだけ普段の当たり前の日常のように暮らしたい。でも忙しげな看護師らの姿を見て、そのひとことが言えずに、耐えている人もいるのです。

 「両方の立場がわかるから…。当事者の目線で、地域で困っている人を支えたい」

 そんな思いを募らせていった押富さんです。

 痛みなど自分の体調と相談しながら、地元の障害者相談支援専門員、学校の先生、友人らとNPO設立の準備を進めています。

 福祉支援の制度について知ってもらう。障害や病気で悩んでいる人の相談に応じる-そのための講演会や仲介役などの活動を徐々に広げていく考えです。

 難病や障害者支援対策の法律はだいぶ整備されました。三年前に障害者総合支援法で、難病も障害者に含まれ、福祉サービスなどが受けられるようになりました。

 いわゆる「難病法」は二〇一四年に成立。医療費が助成される指定難病は、かつての五十六から三百六疾患に増えてきました。

 この四月から施行された障害者差別解消法は、まさに多くの人々が待ち望んだ新法です。

 ところが先の国会。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が委員会参考人招致の出席を一度は拒まれる事態が起きました。唯一の立法機関で、あのありさま。社会保障の現場として力量がますます問われる自治体も、解消法施行では、受け皿づくりの遅れが多分に見られました。

 いかに優れた法や制度でも、扱う側の人々の意識に浸透しないことには、生きてこない。

 さらに言えば、ごくふつうの人々の実際の行動に結びついてこそなのです。

 押富さんらが思い描くのは「解消法」の趣旨の具現化に近い、と言ってもいいでしょう。

 障害者らが「恩恵」を受けるのでなく、その日常が「当たり前」と思える生活の実現です。

 特別な存在ではなく、多様性を認め合って暮らせる社会です。

多様性が「当たり前」に

 無関心や人ごと気分が漂っているようにも映る時代。“溝”を埋めるのが容易でないことは、押富さんらもわかっています。

 まずは欲張らずに一歩一歩、地域へ働きかけていく取り組み。弱者に代わって物申すけれど、こぶしは振り上げない。支援を求める人と行政などとの懸け橋に-と。

 NPO設立前なのに、すでに行政の中に彼女の共鳴者も出ているようです。地域で小さな連携の輪も芽吹き始めた、とも。不思議な魅力を持った取り組みが広がっていく気がしてきます。


【つくられた貧困】「自己責任論」を超えて 湯浅誠・社会活動家

2016年06月28日 01時59分59秒 | 障害者の自立

 私がホームレス支援を通して貧困問題に関わり始めた1990年代半ばは、「自己責任論」の嵐だった。2008年のリーマン・ショックや「年越し派遣村」を経て、政府が09年に初めて「相対的貧困率15・7%」を発表。子どもの貧困問題も「見える化」され、焦点が当たり始めた。当然、子どもに罪はないから、自己責任論という最初の大きなヤマを越えていると考えたが、必ずしもそうではなかった。

 子どもの貧困を解決するには親の生活を改善する必要がある。雇用や家計支援に話が及ぶと、「なぜ親がもっと頑張らないのか」「離婚なんてするからだ」という反応が一気に来る。

 貧困に関する自己責任論には「貧困はあなたの問題であって、俺の問題じゃないし、社会の問題でもない」という意識がある。それは同じ社会の一員という自覚に欠けた「社会的無責任論」だ。人はつながりの中で生きており、結局、自分に跳ね返ってくる。

 私の兄は筋萎縮性の難病で身体障害者だ。障害年金を受け取りながら社会福祉法人で働いている。もし「そんなところに税金を投入する必要はない」と言われて兄が働く場を失えば、母が一日中、家でケアすることになり、私や周りにいる人たちにも影響が広がる。

 生活保護やホームレスへのバッシングにも、経済的な生産性だけ見て「社会のお荷物だ」と排除する論理がある。そうやって障害者や高齢者、貧困家庭を排除しても問題は解決しない。

 例えば貧困の連鎖を放置すると、支援をすれば納税者になり得る子どもたちが、生活保護受給者となり、税金を使う側になる。「排除」は結局高くつく。

 多様な人を受け入れると、周りがそこから学び、地域の問題解決能力が上がっていく。それこそが豊かで強い社会だと思う。

    ■    ■

 私は、子ども食堂がその入り口になると考え、各地に広げる活動を5月から始めている。子ども食堂は、福祉の専門家で語られているだけだった貧困問題を、お茶の間に広げた。

 今はややブームと言える状況で、地域で息長く、学校などと連携していくためには自治会などの関わりが必要だ。公民館で月1回やっている高齢者サロンに子どもが来られるようになるだけでいい。共に過ごす場があると、「あの子は課題を抱えている」と見えなかったものが見えてくる。

 そんなアンテナが大人たちに立っていけば、地域で子どもを見守る力が育ち、解決力がついていく。それこそが地域および社会の、責任感のある引き受け方だろう。 =おわり

 ▼子どもの貧困の「見える化」 相対的貧困率(平均的所得の半分に満たない世帯で暮らす人の割合)を政府が初めて発表したのは、2009年10月。全体の貧困率は15.7%、子どもの貧困率は14.2%だった。

 それまでの歴代政権は「言われているほどの格差はない」(小泉純一郎元首相)などと貧困の存在を認めていなかった。08年のリーマン・ショック後に製造業などで「派遣切り」が増え、年末年始に東京・日比谷公園に失業者らが集まった「年越し派遣村」で深刻な実態が明るみに出た。貧困率の発表は民主党への政権交代直後だった。

 09年11月にはひとり親世帯の貧困率が54.3%に上ると発表。先進国の中で際立って高いことが判明した。以降、貧困の連鎖を止めるための子どもの貧困対策推進法成立(14年施行)などにつながっていく。


=2016/06/27付 西日本新聞朝刊=