医療職だった難病の女性が、障害者らの生活を支えるNPO法人を立ち上げます。“両方”の当事者経験を持つ、その取り組みが問いかけるものは。
全身の筋力が低下する難病「重症筋無力症」を患って、もう十年が過ぎました。
名古屋近郊の愛知県尾張旭市で暮らす押富俊恵さん。先月末、三十五歳になったばかりです。
発症時は、病院勤めの作業療法士。リハビリに励む患者たちの背中を押す立場でした。
症状が進み、やがて仕事を離れることに。でも幸い、気管切開手術のあと、言葉が出た。だから日常会話には、そう困りません。
物言えぬ弱者に無頓着
今は人工呼吸器と車いすの在宅療養生活で、介護ヘルパーの世話がいります。呼吸器が外れれば命に関わり、ヘルパーがいないときは同居の母親を頼る日々です。
そんな彼女が弱者支援について考え始めたのは二年半ほど前。母親が長期入院したときでした。
ヘルパー時間の拡大を求めましたが、行政窓口に当初「前例がない」と渋られたのでした。
公的制度は得てして複雑です。たとえば障害福祉サービスも、声をあげなければ、必要な支援を受けられぬ人がいる。
患者らへの説明・相談体制や制度がかつてより格段によくなったはずの病院などでも、実際には医師や看護師らに気後れし、本音を口に出せぬ人がいる。
しかし、そうした現実に、行政や医療の現場は、存外、無頓着なのです。
医療職だった押富さんは「治療と介護」を受ける立場になって、制度と現実の“溝”を身をもって知ったのでした。
実際に障害のある人たちや病院の事例について調べてみました。
両方の立場知ればこそ
すると、福祉支援の窓口相談をためらっている人、制度自体を知らない人など、身近にけっこういるのです。
病院でも「入浴予定をずっと忘れられていた」「検査と食事の時間が重なることがしばしば」などと、こぼす入院患者らが…。
患者にしてみれば、入院は非日常の生活です。できるだけ普段の当たり前の日常のように暮らしたい。でも忙しげな看護師らの姿を見て、そのひとことが言えずに、耐えている人もいるのです。
「両方の立場がわかるから…。当事者の目線で、地域で困っている人を支えたい」
痛みなど自分の体調と相談しながら、地元の障害者相談支援専門員、学校の先生、友人らとNPO設立の準備を進めています。
福祉支援の制度について知ってもらう。障害や病気で悩んでいる人の相談に応じる-そのための講演会や仲介役などの活動を徐々に広げていく考えです。
難病や障害者支援対策の法律はだいぶ整備されました。三年前に障害者総合支援法で、難病も障害者に含まれ、福祉サービスなどが受けられるようになりました。
いわゆる「難病法」は二〇一四年に成立。医療費が助成される指定難病は、かつての五十六から三百六疾患に増えてきました。
この四月から施行された障害者差別解消法は、まさに多くの人々が待ち望んだ新法です。
ところが先の国会。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が委員会参考人招致の出席を一度は拒まれる事態が起きました。唯一の立法機関で、あのありさま。社会保障の現場として力量がますます問われる自治体も、解消法施行では、受け皿づくりの遅れが多分に見られました。
いかに優れた法や制度でも、扱う側の人々の意識に浸透しないことには、生きてこない。
さらに言えば、ごくふつうの人々の実際の行動に結びついてこそなのです。
押富さんらが思い描くのは「解消法」の趣旨の具現化に近い、と言ってもいいでしょう。
障害者らが「恩恵」を受けるのでなく、その日常が「当たり前」と思える生活の実現です。
特別な存在ではなく、多様性を認め合って暮らせる社会です。
多様性が「当たり前」に
無関心や人ごと気分が漂っているようにも映る時代。“溝”を埋めるのが容易でないことは、押富さんらもわかっています。
まずは欲張らずに一歩一歩、地域へ働きかけていく取り組み。弱者に代わって物申すけれど、こぶしは振り上げない。支援を求める人と行政などとの懸け橋に-と。
NPO設立前なのに、すでに行政の中に彼女の共鳴者も出ているようです。地域で小さな連携の輪も芽吹き始めた、とも。不思議な魅力を持った取り組みが広がっていく気がしてきます。