交通事故の後遺症で重い障害を抱える横浜市瀬谷区の成田壮汰さん(18)が、10代を振り返る自分史「研ぎ澄まされていく心」を編さんした。小学5年生の時に事故で生死の境をさまよい、身体の自由や言葉を失った。失意に沈む心を呼び覚ましたのは、「指筆談」との出会いだった。同じ時代を生きる同級生たちに今、自分の「言葉」を伝える。「僕は頑張っているから、みんなも頑張って」
上瀬谷小学校平成23年度卒業生(旧五年三組)の皆様へ--。成田さんは自分史の1ページ目をそう書き出し、16行の詩を紡いだ。
<体が動かなくて何が一番変わったか>
<きっと誰も気付いていないけれど>
<心がどんどん研ぎ澄まされていったことが一番の大きな変化だった>
「敏感な心」と題した詩を、こう結ぶ。
<僕はまだまだ成長をやめずに生きていくことだろう>
8年前の夏休み。うだるような暑さの日だった。成田さんは2010年8月、塾に向かう途中、横断歩道で車にはねられた。5カ月間、集中治療室に入り、遷延性意識障害と診断された。わんぱくだった少年の四肢はまひし、意思疎通も困難に。小学校に通うのも断念し、重度の知的障害者としての人生を歩み出した。
事故から約2年半後の13年2月、転機が訪れる。筆談や文字盤によるコミュニケーションを研究する国学院大の柴田保之教授と出会い、指先で伝える僅かな機微を、柴田教授が手のひらで感じ取って通訳する指筆談を体験した。「自分の言葉を聞いてくれる人が現れるのをずっと待っていた」。閉ざされていた言葉を解き放つことができた気がした。
自分と同じような境遇の人たちと交流を重ねるうちに、「中途障害者となった経験を伝えたい」という思いが強まった。昨年、柴田教授に相談し、自分史の編さんが実現した。
養護学校に通った経験、笑顔で暮らす障害者の存在に打ちのめされた経験。自分史では8ページにわたり、事故を通して得た多くの「気付き」を一人称でまとめた。支え続けてくれた両親や周囲への感謝の言葉もある。そして「特別な役割がある」と、自らの体験を伝える使命感を抱くに至った経緯をつづった。
この悲しみをひとつのプラスに変えた事例を伝えていきたい。成田さんは指筆談を介して意気込みを語った。
柴田教授(左)の手に触れ、意思疎通の介助を受ける成田さん
成田さんが編さんした自分史。表紙に描かれた母校は弟の壮基さんが担当した
毎日新聞 2018年5月2日