ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害の有無関わらずアートを楽しもう 創作ワークショップ

2017年07月29日 23時59分37秒 | 障害者の自立

 障害のある人もない人も一緒に、のびのびとアートを楽しもう――。長崎市千歳町のチトセピアホールで先月、創作ワークショップ「ツナグ・アートワークス」があった。今年で3回目。参加者はホールの広い空間をアトリエに、思い思いに筆を走らせた。

 障害者の社会的自立を支援するNPO法人「ツナグ・ファミリー」が同市江戸町の事務所で隔週の土曜日に開くイベントの拡大版。代表理事の城島薫さんは「障害について、もっとたくさんの人に知ってもらいたい」と活動の狙いを話す。

 6月3日のワークショップでは、ホールに広げられたブルーシートの上で、参加者は多彩な絵の具を使って幾何学模様やメッセージを描いた。一心不乱に紙に向かう人、次から次へと何枚も描く人――。決められたテーマや制限はなく、一人ひとりが描きたいように描いた。

 高齢者施設で働く加島健さん(43)は「たくさん色が用意してあったので全部の色を使いたいなと思った」と、アジサイを色彩豊かに描いた。「仲間たちと一緒に描けて楽しかった」と初参加の感想を笑顔で語った。

 ワークショップには、活水女子大文学部現代日本文化学科で「共生社会」について学ぶ学生8人も参加。過去のワークショップで障害者が描いた絵をもとに制作したTシャツやクリアファイル、絵はがきを会場で販売した。売り上げの5%が原画作者に還元される仕組みという。古賀弥生教授は「ささやかですが、障害者の経済的自立や、社会的なつながりづくりのお手伝いができれば」と話す。

 タイからの留学生トガ・ジラットチャヤーさん(19)は「タイにもボランティアはあるけど、日本のほうが障害者との距離が近い。うまくしゃべれない人でも、絵を通してならば、考えていることを伝えられるので、とてもいい活動だと思った」。障害者が描いたカラフルでエネルギッシュな作品を、うれしそうに携帯電話のカメラに収めていたトガさん。「私より上手。感動しました」と、はじけるような笑顔で話していた。

 写真・図版

イベントの最後に記念撮影をする参加者=長崎市千歳町

<アピタル:ニュース・フォーカス・その他>朝日新聞

http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/


障害者の学生に夢の実現を! 日韓交流を通じて自立を支援する大学教官

2017年07月29日 02時54分42秒 | 障害者の自立

群馬大学荒牧キャンパスで2017年7月2日、「肢体不自由者の自立と社会参加」というシンポジウムが開かれた。

 

群馬大学と韓国の延世(ヨンセ)大学の障害者学生たちが交流するイベント。公益財団法人「韓昌祐・哲文化財団」の助成を受けた群馬大学教育学部障害児教育講座の任龍在(イム・ヨンジェ)(40)准教授らが企画、主催した。

5歳のときに両腕を失う

任さんは自らが重度障害者で、行動派研究者の道を切り開いてきたパイオニア的存在である。韓国・釜山の国家公務員の家庭に生まれ、5歳のとき、バス事故に巻き込まれ、両腕を失った。

小・中学は特別支援学校で学んだが、授業や生活のほぼすべてを自力でこなせるようになり、普通高校から名門の延世大学法学科に進んだ。在学中、数人の仲間に呼びかけ、引きこもりがちになる障害者を外へ連れ出すサークル活動を始めた。数年後にメンバーは400人に達したというから、抜群の行動力がうかがえる。

卒業して一般企業に就職したが、障害者を取り巻く社会の壁に直面。障害者教育研究の道に進むことを決意、大邱(テグ)大学大学院に入学した。

2年後、単身で日本に渡り、筑波大学大学院博士課程心身障害学専攻に留学した。日本、韓国、ベトナムにおける障害者支援教育を研究するかたわら、07年からは、日韓の肢体不自由特別支援学校同士の国際交流も開始した。

「韓国に連れて行った生徒が筑波大学に入学した。現在、博士課程で学んでいます」

この経験から任さんは、さらに大きな構想を練る。それが「日韓・次世代の障害者グローバルリーダー育成事業」だった。

「障害を抱えながら様々な分野で活躍している人たちが世界に沢山います。それらの人たちと交流することで自分の生き方を見つめ直す。そこから新しいステップに進み、障害者グローバルリーダーを育成する試みです」

一人暮らしを見事に実現

その好例が7月2日に群馬大学で行われたシンポジウムだ。シンポでは自分の夢を実現した2人の日本人障害者が、日韓の障害者学生たちを前に、みずからの体験を語った。

一人目は「肢体不自由者の一人暮らし」というテーマで、群馬県在住の宮内康裕さん(40)。

脳性小児麻痺児として生まれ、全身性の運動障害と言語障害を持つ宮内さんは、24歳まで親元で暮らしていた。だが親が亡くなった後のことを考え、一人暮らしを決心した。

壁はいくつもあった。まずは住居探し。当時ネットで調べても車椅子で生活できるアパートがなく、役所や施設を訪ね歩き、ようやく見つけることができたという。

次に、日々の生活の壁。ヘルパーさんの介助なしに食事も排泄もできない。ヘルパーさんとの人間関係に悩んだこともあったが、16年経った現在、パソコンを使って仕事をし、おしゃれやショッピングが好きで外出を楽しむまでになった。

ある日、尿意を催してショッピングセンターの店員にトイレに連れて行ってもらったこともある。お礼の電話をすると、「ぜひまた、行らしてください」と嬉しい言葉をもらった。

聴衆の障害者学生たちは一人暮らしが夢物語ではないことを実感したのか、「親は反対しなかった?」「生活費はどうやって?」など具体的な質問が相次いだ。

留学中、一番楽しかったのは乗馬

二人目の横浜市在住の小川晃生さん(28)は、「肢体不自由者の海外留学と就職活動」を語った。

中学3年の時、運動会の騎馬戦で落下。胸から下の筋肉が麻痺、車椅子生活になった。同じ境遇の障害者支援を志し、筑波大学に入学、同大学院に進んだ。この間、企業の障害者リーダー育成の研修生に選ばれ、米国・アリゾナ大学に9か月間留学した。同大学は障害学生支援で米国のトップレベルにあり、障害者専用ジムもあるという。アリゾナ大学ではウィルチェアーラグビー(車椅子による国際スポーツ)に挑戦した。そして卒業後、大企業への入社を果たした。

「留学中、一番楽しかったことは?」と聞かれ、「乗馬です。日本では『体幹のない障害者は馬に乗れない』が常識ですが、背もたれをつけてもらい乗れました」。そう答えると質問者の目が輝いた。「就職にあたって大切なことは?」という質問に、「面接時にバリアフリーなどの要件をありのままに伝えること」。これには全員がうなずいた。

海外留学も就職も「夢物語」ではない。通訳を務めた群馬大学准教授の任(イム)さんが、日韓の障害者学生を触発した。

若い重度の障害者学生に自立と社会参加のきっかけを与える。交流活動に参加した障害者は悩み考え抜き、1年ほど経つと「私はどうすればいいのでしょうか」と相談にくるという。それを待つことが「楽しみでもあり、やりがいでもある」と流暢な日本語で自立支援への戦略を語った。

 

群馬大学荒牧キャンパスの任龍在(イム・ヨンジェ)准教授の研究室で

(文・ノンフクションライター 村尾国士 写真・菊地健志)J-CASTニュース  7月14日


それでも「私たちはいる」 車いすで神戸の街角に

2017年07月29日 02時43分10秒 | 障害者の自立

 相模原殺傷事件から26日で丸1年。事件翌月から月に1回、神戸・三宮の街頭に立って問い掛け続ける障害者らがいる。「障害者の命は健常者より軽いですか?」。車いすからの問いに立ち止まる人は減っていくが「事件の根源は加害者の異常性ではなく、社会の中に存在する」と訴えてきた。

 昨年7月26日の早朝、脊髄性筋萎縮症のため車いすで自立生活を送る石地かおるさん(49)=神戸市兵庫区=は事件の発生を知り、怒りと悲しみ、さらに「自分も攻撃されるのでは」という恐怖を覚えた。

 その後、19人の名前や人生が伝えられることは全くなかった。介護労働の過酷さが取りざたされ、ネット上には加害者に同情、賛同する声すらあると聞くうち、新たな怒りが生まれた。このままでは障害者が「不幸で、殺されても仕方がない存在になってしまう」。

 障害者自身が街頭に立ち、姿を見せて行動しないといけないと感じ、友人と共に「リメンバー7・26 神戸アクション」を立ち上げた。8月のデモには39人が参加し、全員がマイクを取った。「以前から『障害者なんていなくなればいい』との声は社会にあふれている」と声を振り絞った。立ち止まって訴えを聞き、涙ぐむ人もいた。石地さんが所属する「神経筋疾患ネットワーク」の声明文を千部用意したが、あっという間になくなった。

 だが、9月の行動では風景が一変した。事件からたった2カ月。「何の人たち?」「事件って何?」。遠巻きにされ、声明文を受け取る人は激減した。

 メンバーは「19人は3回殺された」と話す。最初は地域から排除されたとき。2回目は事件。そして3回目は名前を隠されたことで-。「見て見ぬふりをされ、自分が透明人間だと感じる」と石地さん。

 事件後も、障害者の人権や自立が尊重されるようになったとは思わない。だが声が届かなくても、車いすや障害のある姿を地域で見せることに意味があると思う。「私たちはここにいる」と伝えるため、今後も街頭に立つ。

「リメンバー7・26」の呼び掛け人、石地かおるさん。昨年8月から街頭に立ち続ける=神戸市中央区 

「リメンバー7・26」の呼び掛け人、石地かおるさん。昨年8月から街頭に立ち続ける

2017/7/23   神戸新聞NEXT


「触れ合える」を当たり前に

2017年07月29日 02時32分50秒 | 障害者の自立

脳性麻痺当事者 猿渡達明さん

 19人の尊い命を奪い、社会に衝撃と不安をもたらした津久井やまゆり園での事件。犯人の言動からは障害者への差別心が犯行の大きな動機となったことが伺える。

かつて相模原市で生活を送っていた脳性麻痺当事者の猿渡達明さんは差別を無くすために「障害者と日常的に触れ合うことが重要」と指摘する。

 都内出身の猿渡さんは結婚を機に、1998年から12年間市内で生活。その間、障害者の自立生活センターなどに勤務し、市の障害者福祉計画にも携わった。現在は都内のNPO法人に勤めながら、障害者をテーマにしたテレビ番組にも出演している。

「いつかは起きるのでは…」

 今回の事件は障害者を狙った世界でも類を見ない卑劣な犯行。ただ、猿渡さんは「いつかはこうした事件が起きると感じていた」と話す。「子どもの頃、自分の障害を巡って家族が口論したり、いじめを受けたりすると『障害者はいらない』と暴力が自分に向かって来るのではないか」と思った。当事者だからこそ強く感じてきた「恐怖」が、今回の事件で現実のものとなってしまった。一方、相模原で事件が起きたことに「なんでまた相模原なのか」という思いもあった。2008年1月、市内で知的障害の男性が母親に殺害される事件が起きた。犯行理由は複雑だが、その中の一つは「自分(母親)がいなくなったあとが不憫」というものだった。「どちらも土地柄や地域性の問題ではないが、障害者への支援や取り巻く環境が違えば起きなかったかもしれない」と話す。

触れ合いが人を変える

 「障害者を殺害すれば国のためになる」。被告は逮捕後の取調べでも障害者への差別発言を繰り返した。ネットの世界では被告の差別発言を称賛し擁護する声が少数とはいえ確かに存在した。「障害者への差別はどうしたら減らせるのか」。そんな問いかけに、猿渡さんは「日常的に障害者と触れ合える環境を作ることが重要」と話す。内容自体は目新しいものではないが、猿渡さんは自身の経験から確信を持って発言する。

 猿渡さんは過去に相模原市社会福祉協議会の事業で市内の学校を訪れ、障害者への接し方をテーマに授業を受け持った。そこで出会った生徒の一人は障害者への介助などに興味を抱き、福祉系のコースを有する高校へ進学。猿渡さんとはその後も交流を続け、「当たり前」のように猿渡さんの引っ越しの介助に駆け付けるようになった。「人は人との触れ合いを通じ変化する」。そう、強く実感した。

 そして、日常的な交流を行うには「障害者も勇気を持って地域に出ていく必要がある」という。もちろん、障害の重さによってその難易度も異なるが「地域に出て、知らない人と関係を作っていくことは、本人はもちろん家族にとっても素晴らしいこと。そのためには、安心して地域に飛び込むことができる環境作りが必要」と話した。

障害者が地域に出やすくるなるため「環境整備」の重要性を訴える猿渡さん

2017年7月27日   タウンニュース


障害者を無報酬で働かせる 長崎・対馬の福祉法人処分 関連施設の建設工事で

2017年07月29日 02時25分27秒 | 障害者の自立

 長崎県は18日、同県対馬市の社会福祉法人「梅仁会」が、運営する障害者支援施設の利用者に違法に関連施設の建設工事に従事させ、賃金を支払わなかったとして、障害者総合支援法(旧障害者自立支援法)に基づき、介護給付費減額の行政処分にしたと発表した。

 県によると、梅仁会は対馬市で障害者支援施設「対馬恵風館」を運営。平成24年4月~26年3月、リハビリや作業療法と称し、利用者計17人に、関連施設の建設工事や、施設管理者の自宅の清掃を無報酬でさせた。工事は障害者総合支援法や県条例が禁じる「過重な負担」に、無報酬だった点は同法の「経済的虐待による人格尊重義務違反」に当たると判断した。

 法人側は「入所者支援の一環で、賃金を払う必要はないと思った」との趣旨の説明をしているという。県民から不適切な運営に関する情報提供が県にあり、26年8月に利用者に聞き取り調査をして発覚した。

2017.7.18    産経ニュース