ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

<共に歩むために 植松被告への返信>(2) 勝手な理屈、弱さ感じる

2017年07月30日 02時21分59秒 | 障害者の自立

◆川崎市の障害者施設長・中山満さん(66)

 ノーベル文学賞を受賞した米国人作家のパール・バックに、知的障害のある子どもを描いた「母よ嘆くなかれ」という作品がある。できないことがあっても同じ人間であると書き、障害のある人を受け止め、その人がどう幸せになるかを考えるべきだと訴えている。

 これが戦後の世界の人権の考えだ。しかし、手紙に書いてある植松聖(さとし)被告の考え方をひと言で表現すると、「経済的に自立できない人は役に立たない」というもの。古くさい、古典的な優生学的な考えだ。

 なぜ障害者施設で働いていながら、こうした考えを持つようになったのか。あるいは、もし植松被告がうちの施設で働いていたら、どうなっていただろうか-。事件後ずっと疑問に思っていたが、手紙を読んで感じたことがある。

 一つは、植松被告の障害者に対する嫌悪感の強さ。自傷行為など障害者が調子が悪いときに起こす行動を書き連ねている。こうした行動はきちんと支援すれば収まるはずのものだが、植松被告はどう対処すべきか分からず、嫌悪感が先に出てしまったように感じる。

 つまり、素人同然のまま障害者への拒否感を持ったまま仕事を続け、ストレスを感じていた。支援員として力量がなく、自分ができないことを正当化するため、障害者を排斥する考えになったのではないか。

 確かに、支援の現場で、障害者にたたかれ、思わず手が出てしまう人もいる。経験が浅い職員ならなおさら。でも、仲間らと励まし合いながら、粘り強く障害者と関わり、障害者が落ち着きを取り戻す経験を積み重ねることで、職員は自信を持ち、共感関係を築いていける。

 残念ながら植松被告はそうならなかった。「言うことを聞かない奴らはしょうがないやつだ」と、勝手な理屈をつけ、人類や平和のため、自分を正義の味方として登場させ、犯行に走った。ある意味正常だが、とても弱い人間なんだろう。

 手紙で感じたことはもう一つある。それは入所施設の宿命とも言える問題だ。

 入所施設では、職員は障害者に対し、ものすごく強い立場にある。入所者が何を食べ、飲むか、外出できるかどうか決めることができる。

 障害者に嫌悪感を持っている職員がいれば、自分の言うことを聞く人は優しく支援するが、そうでなければ暴力的な対応になってしまう。行きすぎると、この人は生きている意味はあるのかという論理につながりやすい。

 入所施設で長く生活することの問題を、我々は改めてしっかり考えるべきだと思う。 

 <なかやま・みつる> 1950年11月生まれ。川崎市役所に入庁し、障害児のケースワーカーや障害者施設の整備計画や障害者支援計画の策定などを担当。定年退職後は精神、知的、身体の全障害に対応する入所施設「桜の風」で施設長を務める。川崎市宮前区在住。

植松被告の手紙を読む中山満さん

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 2017年7月27日     東京新聞


<「やまゆり園」事件 被告への返信>(下) 生き方は本人が決める

2017年07月30日 01時59分47秒 | 障害者の自立

 「命の重さに違いなんてない!」。七月中旬、JR桜木町駅前(横浜市中区)に、のぼり旗が掲げられた。周りには車いすに乗った約三十人。「津久井やまゆり園」の事件を風化させまいと、神奈川県をはじめ首都圏各地の脳性まひの人らが街頭集会を開き、「重い障害があっても考えを表現できる」「いらない命はありません」と訴えた。

 「僕らはただの人間。人が人として生きられないのは、社会がおかしい」。自身も脳性まひがあり集会に参加した自立生活支援センター職員、猿渡(さるわたり)達明さん(43)=東京都文京区=は、世に潜む差別意識は今も根強いと指摘する。頭には以前から消えない疑問がある。「障害者でなければ、こんなことは言われないでしょう?」

 ◇ 

 「おろすんですか」

 一九九九年、夫婦で訪ねた相模原市内の総合病院で医師にいきなり聞かれた。当時は同じく脳性まひの妻と市内で生活し、長男の命が宿ったところだった。

 何件も産婦人科に電話して、そのたびに「障害者の出産事例がない」と断られ続け、やっと見つけた病院だった。あらかじめ電話で「産む」との意思を伝えていただけに、医師の言葉に憤った。

 市役所では職員に「あなたたちに育てられるの? 親は来ないの?」と聞かれた。「僕らは一人前ではないのか」と腹が立った。

 その年の秋、長男が誕生。生まれたその日に抱っこした。「家族に一人加わった。うれしかった」。喜びに浸ったのもつかの間、またも傷つけられてしまう。

 「赤ちゃんに障害がなくてよかったね」

 障害者同士の夫婦に“お祝いの言葉”が何度も投げ付けられた。「将来は介助者かな」と勝手に長男の進路を想像する人もいた。「僕らが障害者だから? ふざけるな、って…」。思い出すと、今でも涙が浮かび、声が詰まる。

 介助者の手を借りながら夫婦で子育てをした。二年後には、次男が生まれた。

 植松聖(さとし)被告(27)は本紙記者への手紙で、重い障害のある人を「人の心を失っている人間」と呼び、人権さえ否定しようとする。猿渡さんは「障害は重くても意思も感情もある。それをくみ取れるかは関わる人次第」と反論する。

 やまゆり園の建て替えでも、障害者の意思をくみ取ろうとする努力は不十分だった。神奈川県は昨年末から、入所者約百人に園に戻る意向があるか聞き取りをしたが、県の担当者は「思った通り『分からない』『回答不能』が六割だった」と、そのまま大規模施設を建て直そうとした。

 これに専門家らが「話せなくても、身ぶりやしぐさなどから意思をくみ取れる」と批判。再建までの間にグループホームなど大規模施設以外の暮らしを体験してもらうなど、丁寧に入所者の意思を確かめる方針に変更した。

 どこで、どんな暮らしを営むかは、その人の生き方そのもの。猿渡さんは訴える。「障害者本人が決めて当然じゃないか」

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JR桜木町駅前での街頭集会に参加した猿渡達明さん

2017年7月28日     東京新聞

 


高齢者施設殺人、被害者は59歳女性と判明

2017年07月30日 01時47分13秒 | 障害者の自立

 逮捕の入居男、動機など捜査へ 大阪・羽曳野

 高齢者や障害者らが暮らす大阪府羽曳野市野々上の生活支援施設「シェアライフハウスクローバー」で27日夕、入居者の女性が刺されて死亡した事件で、大阪府警羽曳野署のその後の調べで、女性は無職、岩本まり子さん(59)と判明した。同署は殺人未遂容疑で逮捕した施設入居者の無職、中村政夫容疑者(64)の容疑を殺人に切り替え、動機や経緯などについて詳しく調べる。

 事件は27日午後4時半ごろ、施設職員から「女性が血だらけで倒れている」と110番があり、羽曳野署員が駆けつけたところ、岩本さんが両足を刃物で複数カ所刺されていた。岩本さんは病院に搬送されたが、間もなく死亡。施設地下の共有スペースにいた中村容疑者が関与をほのめかしたため、殺人未遂容疑で逮捕した。

 中村容疑者は「太ももを2~3回刺した」と供述。本人の居室からは血が付いた包丁(刃渡り約20センチ)が見つかった。

 運営会社などによると、施設は4階建てで、高齢者や障害者ら男女33人が個室で生活。24時間常駐のスタッフが健康管理や生活支援をしており、死亡した岩本さんは足に障害を抱えていた。

 同署によると、施設1階のエレベーター近くに、岩本さんが使っていた車いすと血だまりがあったという。同署はこの付近で刺されたとみて調べる。

 運営会社の関係者は「(岩本さんと中村容疑者は)数年前から施設で暮らしていたが、2人の間で目立ったトラブルは聞いていない」と話した。

事件があった高齢者施設とみられる建物=27日午後8時4分、大阪府羽曳野市(須谷友郁撮影)

事件があった高齢者施設とみられる建物

2017.7.28    産経ニュース


水前寺清子、「三百六十五歩のマーチ」が障害者スポーツ応援ソングに

2017年07月30日 01時29分43秒 | 障害者の自立

 歌手、水前寺清子(71)が28日、東京都内で行われた「スポーツ・オブ・ハート2017」の応援ソング発表会見に出席した。

 1968年に発表された自身の名曲「三百六十五歩のマーチ」が応援ソングに決定。「三百六十五歩のマーチ2017」のタイトルで、水前寺のほかに愛乙女☆DOLLらアイドルグループ、シンガー・ソングライターのTEE(34)らが参加する。水前寺は「みんなのおばあちゃんになった気持ちで、皆さんのパワーに負けないよう頑張りたい」と誓った。

 水前寺清子、「三百六十五歩のマーチ」が障害者スポーツ応援ソングに 

自身の名曲「三百六十五歩のマーチ」が応援ソングに決まり笑顔を見せる水前寺清子

サンケイスポーツ


急拡大する「発達障害ビジネス」その功と罪

2017年07月30日 01時11分31秒 | 障害者の自立

はたして、それは適切ですか?

発達障害とは何か?

発達障害は今や医学だけではなく教育や福祉も含めていわば社会の抱える大きな問題となっている。

しかし発達障害が何を意味するかについてはわが国と米国でも異なるし、発達障害者支援法における定義(第2条:自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの)が質的な定義ではなく疾患定義であることもあって、実際には人によって独自に解釈している場合もある。

筆者は発達障害とは「発達の過程で明らかになるコミュニケーションや行動の問題によって社会生活に困難を生じてくるが、適切な対応によって困難は軽減されうる」障害であると定義している。

こだわりや過敏性、過活動性や見落とし、衝動的に行動したくなることがあるなどの発達障害の「欠片(かけら)」はいわばそれが大きいか小さいかは別としてすべての人が持っている。

そして、欠片があるかどうかだけではなく、それによって社会生活上の困難を引き起こしているかどうかが対応を必要とするかどうか、診断するかどうかの鍵となる。

〔PHOTO〕iStock

線引きがむずかしい

発達障害のうち自閉症スペクトラム障害(上記条文の自閉症、アスペルガー症候群を含む、2013年からの新しい概念、スペクトラムとは連続性があるという意味:以下ASD)では知的にもその症状においても連続性がある。

これは注意欠陥多動性障害(ADHD)においても基本的に同じであり、知的障害は基本的に見られないものの、不注意の症状や多動性・衝動性はその程度も頻度もさまざまなスペクトラムと考えられるし、学習障害の中で最も多い読字障害においても「読めない」から「読むのが苦手」までやはりスペクトラムとして捉えることができる。

 

このようにひとことでは説明しにくいが、たとえばASDにおける感覚過敏やADHDにおける衝動性によって生活上の困難がある場合には、当事者にとってはすぐにでも対応や支援を必要とすることも多い。

さらに発達障害を抱える人の数が多い(小学生では過去の調査で6%くらいと言われている)ことから、適切な対応が医療でも教育でも社会でも求められるようになってきた。

しかしどこまでが発達障害でどこからが違うかの線引きには、医療機関によっても差がある。

なぜビジネスが出てくるのか

一方で発達障害の周知が進むにつれ、発達障害を対象としたビジネスが出てくることも必然の流れであり(これは介護保険のこれまでの流れと比較することができる)、特に児童福祉法改正による2012年からのデイサービスの規制緩和や就労支援サービスなどの拡充が発達障害ビジネスと結びつくことも見られるようになった。

発達障害に対するビジネスが出てきている理由としては以下のものが主である。

1. 発達障害という言葉は誰もが知っているかもしれないがその解釈が一定ではない。
2. 発達障害は明確な原因がなく、科学的根拠によって確立された治療法が少ない。
3. 発達障害の診断は適切になされているとは限らず、しばしば過小あるいは過大である。
4. 当事者や保護者にとっては抱えている社会的困難から藁をもつかみたくなる。
5. そもそも医療や公的支援であってもビジネスであっても質の評価が容易ではない。

 

デイサービスは未就学児を対象とした児童発達支援サービスと小学生~高校生を対象とした放課後等デイサービスに分けることができる。公的・半公的な施設と民間による施設に分かれる。

規制緩和以降、その数は急増し、自治体への届出が必要であるもののあまりの急増に新規受付を中止している自治体もあるし、厚生労働省においても現状はその事業内容からも容認できないものがあるとして規制に乗り出している(30年度以降に規制が強化される)。

デイサービスは、通所受給者証(診断に基づいて市区町村で発行される、おおむね1割負担であるが1ヵ月の支払い上限額がある)を用いて小集団で行われており、個別の発達評価を行うことはできても個別にプログラムを設定して介入することは困難な状況にある。

急増している児童発達支援サービスにおいてもこれは同様であり、個別の支援計画を立てて実行することのできる支援サービスはまだまだ少ない。

ここでの最大の問題はそれらのサービスの質が保護者にはわからないことであり、同じように通所受給者証を使っていたとしても、その質は子どものその後の発達に大きく影響する可能性がある。

まずは療育の開始にあたって、発達検査だけではなく、どのように個別の支援計画が立てられているのかを理解し、それが6ヵ月後など一定期間で見直されているかどうかを把握する必要がある。それが出来ていない場合には、サービスの質は担保されていない可能性がある。

首都圏では極めて多くの子どもたちをチェーン化した施設で療育を行っているところもある。その中には受給者証を使用した療育としない自費療育を併用あるいは受給者証療育が定員いっぱいなのでとりあえず自費療育を勧めるなどの場合には、適切な療育を行うだけのスタッフが充足されていない可能性も考える必要がある。

学童~高校生では先述の放課後等デイサービス(以下放デイ)がまず挙げられる。発達支援サービスと同様に基本的には受給者証が使用できる。やはり余りにも数が多く、保護者には質がわからないという問題がある。放デイは主として民間の事業者によって運営されている。

自費で療育を行う場合には高額になる場合もある。一方、米国などできちんとした技術を身に付け、それに基づくライセンスなどを保有して療育を行っている機関も出てきてはいるが、まだまだ数が少なく、とても需要には追いついていない。

また質についてはデイサービス同様、外からは見えにくいことや一定の国家資格が必要というものではないので、質の低い、しかし高額なサービスもある。

成人の発達障害における問題

成人で発達障害を抱えた人も推定では100万人とも言われているが、医療、福祉、教育などでの支援は極めて乏しい状況にある。

相談機関が少ないためにうつ病やパニック障害などの二次障害や、就労機会が得られないなどの困難に直面する場合もある。就労支援、生活上のトレーニングやカウンセリングが欠かせないにも関わらず、そうした社会資源が極めて乏しい状況である。

これらの充実は急を要する課題である。

ビジネスの面では質的には評価しにくい高額なスピリチュアル(自己啓発セミナーなど)に勧誘され、その結果として経済的な損失を繰り返している場合もある。またクレジットカードなどの多重債務にも陥りやすいことが、ビジネスに利用される場合もある。

医療における問題

医療では保険診療と自由診療に分かれるが、自由診療(自費)については質も価格も規制対象外である。

現在の健康保険制度では発達障害診療の診療報酬が低く設定されている(たとえば子どものASDであれば10分で診察しても1時間かけても報酬は基本的に同じ、実際には初診で丁寧に見れば40分以上はかかる)こともあり、保険診療よりは診療費の請求は高額になるが、自費での支払いとなる自由診療として行っている医療機関も存在する。

また特に自由診療の場合には医療という枠組みの中で行っている限り、科学的根拠に乏しい治療も容認されているようである。

 次々出てくる補完代替療法

補完代替療法(通常の医学的あるいは標準化された治療と異なる療法)も数多く行われており、いわばビジネスの温床でもある。水銀除去のキレート療法は現在でもインターネットでは出てくるが、医学的には副作用が多いこともあって国際的にも否定されている。そのほかにも多くの食事療法(特定の食品を摂取する、特定の食品を除去する)なども行われている。

医療における標準的な治療や療育においては、それなりの根拠を有することが必須であり、それは公表された論文等に裏付けられていることが必要である。

しかし多くの補完代替療法における効果は「有効であった」という感想や印象に基づくものが多く、現時点で推奨すべきものはない。しかし雨後のタケノコのように次々にこうした療法は出現してくる。

がん治療と比べてみると…

今回は発達障害のうち、ビジネスに関係の深い部分を中心として概説したが、発達障害の抱える問題は幼児期から成人期まで多岐にわたり、対応すべき支援も極めて多い。

しかしながら発達障害の概念が知られてからの年月が浅いこともあって(知的障害を伴わないASD、アスペルガー症候群の国際的認知からはまだ20年余である)、行政的対応も後手に回る部分が多いのが現状である。

 筆者は発達障害についてのビジネス全体を否定しているわけではない。高額の費用がかかっても内容の充実したものもあるが、一方では荒稼ぎと取られかねないような場合も存在する。どうすればその見分けがつくのか、筆者にもまだ解決策はない。

ひとつの比較としてがんの治療を考えてみたい。

多くのがんでは、病期の判定や標準的治療法などが報告されており、それらは基本的に科学的なあるいは疫学的な根拠に基づいている。

しかしながらがんを巡っては多くの補完代替療法や評価のできない医療的治療など、いわばビジネスが数多く存在することも指摘されている。

標準的治療すら確立されているとは言い切れない発達障害において、その周辺には多くのビジネスが今も動いている。

現代ビジネス