悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

107 恋やぶれ野原の

2005-11-16 06:30:00 | 新古今集

 巻十五(恋歌五)は 1336~1434。恋歌五巻のうち、同時代の作品が11首で最少、読人しらずのものは27首で最多。現代詠は仮定形で難産し、「声に出して詠う」という目標から遠い。
 ひらかなy107:こいやぶれ のはらのつゆと きえさっても
          はかのくさばを みるひともない
 ひらかなs1339:こひわびて のべのつゆとは きえぬとも
          たれかくさばを あはれとはみん
【略注】○草葉=墓に生い茂る草葉。
    ○藤原公衡(きんひら)=公能(きんよし)の子。

短歌写真2005-1115 帯解きの

2005-11-15 06:45:00 | 短歌写真

 十一月十五日は「七五三」(しちごさん。しめ=標)。女児は三歳で「髪置の儀」(かみおき)、七歳で「帯解の儀」(おびとき)、男児は三歳、五歳で「着袴の儀」(ちゃっこ)。きょうは各地で小さな紳士淑女が見られる。
 「帯解きの日」は七五三、「日は高く晴れ」は秋晴れ。紫式部の枝が垂れかかって、幼児の「神となり、髪(長髪=長命)となるように」との願いを込めた。両親の了解を得て載せる。写真のNちゃん、おめでとう!

 ひらかな:おびときの ひはたかくはれ むらさきの
       しきぶのたれて ながかみとなれ
☆今朝の朝日新聞の「花おりおり」は、小紫式部! 有職故実の家では婚姻の儀。


106 それでもとそわそわ

2005-11-15 04:00:00 | 新古今集

 男を待つ間に、月日が過ぎて齢(よわい)を重ねていく、寂しさ・空しさ。特別な技巧のない、実に素直な心の表出である、と思う。式子百首からの入集。「本歌の嘆きをいまさらのようにかみしめさせられた哀感が、温雅に流露している。」(小学版)
 ひらかなy106:それでもと そわそわまって みたけれど
          つきひはすぎて はなもしおれて
 ひらかなs1328:さりともと まちしつきひぞ うつりゆく
          こころのはなの いろにまかせて
【略注】○さりとも=(然りとも) そうであっても。それにしても。それでもなお。
    ○心の花の色=野山の花のように、移ろいやすい人の心。「移り」も、「花の色は
    うつりにけりな」に同じく、縁語。
    ○式子=悠 011(07月09日条) 既出。
【補説】1328の本歌 色見えでうつろふものは世の中の
            人の心の花にぞありける     (古今・恋5 小町)
    1329式子詠 生きてよも明日まで人はつらからじ
            この夕暮を訪はば訪へかし
    1328関連  世の中の人の心は花染めの
            うつろひやすき 色にぞありける  (古今・恋5 読人しらず)


105 何気ない空も

2005-11-14 05:15:00 | 新古今集

 作者は別に、「秋の夕暮空の気色は、色もなく声もなし。いづくにいかなる故あるべしとも覚えねど、すずろに涙こぼるる」(無明抄)とあり、と。(小学版) 神道(しんとう)の家に生まれ、禰宜になれなかったのも一因となって仏門に入り、無常観の世界に没入する。恋歌に採られている理由は?
 ひらかなy105:なにげない そらもかなしく みえるあき
          ゆうぐれどきに ためいきがでて
 ひらかなs1318:ながめても あはれとおもへ おほかたの
          そらだにかなし あきのゆふぐれ
【略注】○おほかたの=(大方の) 大抵の、普通の、ありふれた。
    ○鴨長明(ながあきら、ちょうめい、両読み)=下鴨神社の禰宜長継の次男。のち
    出家。『方丈記』の著者。

104 忘れられ生きては

2005-11-13 06:40:00 | 新古今集

 忘れられたり捨てられたりしたら、もう生きてはいけないわ、とまで思いつめたのに、簡単にはそうさせてくれないのが、世の常というものかしら。やっと一首、成りすましではない、本物の女性の歌。
 ひらかなy104:わすれられ いきてはいない はずなのに
          よのしがらみで それもできない
 ひらかなs1296:わすれなば いけらんものかと おもひしに
          それもかなはぬ このよなりけり
【略注】○忘れなば=男が私を忘れた時には。捨てられたら。
    ○大輔=悠 019(07月20日条) 既出。


103 「必ず」を信じ

2005-11-12 05:00:00 | 新古今集

 歌集この前後の作品は、男性が女性の心理に託して詠んだものがほとんどである。
【略注】○忘れじといひしばかりの=「忘れないよ。必ず行くからね。」と言ったきりの。
    ○その夜の月は=共に過ごしたあの夜の月は。
    ○藤原有家=重家の三男。本名は仲家。選者の一人。19首。
 ひらかなy103:「かならず」を しんじながめた あのときの
          つきがのぼって さびしいきもち
 ひらかなs1277:わすれじと いひしばかりの なごりとて
          そのよのつきは めぐりきにけり


102 明け方の月見て

2005-11-11 06:30:00 | 新古今集

 「作者は女性。月は、逢って、明けがたの別れを惜しんだ時の月。」(小学版) 平安貴族の女性が、万葉の女性と大きく違うところは、非生産活動者であること。だから、男性からの訪れがないことを、非常におそれる・・・尼になるか、蓬になるかと。
 ひらかなy102:あけがたの つきみてつらく おもうのは
          はなれていった あのひとのこと
 ひらかなs1260:あまのとを おしあけがたの つきみれば
          うきひとしもぞ 恋しかりける
【略注】○天の戸を=天の岩戸伝説(アマテラス女神が岩戸から出て、世に日の光が
    満ちた)が前提にある。それを受けて、「おしあけ(押し開け)」「あけがた(明け
    方)」が掛詞。
    ○憂き人=「辛い思いをさせている人。薄情な人。」(同書) 現代詠は、訪い
    (おとない)が途絶えた、としたが、文字どおりには、絶縁とは限らないこと、い
    うまでもない。

101 あのころの青い

2005-11-10 05:00:00 | 新古今集

 これは予備知識が必要な歌である。
 原作の詞書に、「以前、情をかわしていた女に、枯れた葵を、みあれの日[後述]に贈った、それに添えた歌」(小学版)とある。このことから、枯れ葵を贈った、というところが、この歌を理解する鍵になる。どうしてそのようなものを、と、あなたは思うだろうけれど、あのころの御阿礼(みあれ)祭に贈った葵は青青としていた。それがこんなに枯れてしまったけれど、私は大切にしていて、忘れてはいないんだよ。
 ひらかなy101:あのころの あおいあおいと いわれても
          みあれまつりは わすれられない
 ひらかなs1254:いにしへの あふひとひとは とがむとも
          なほそのかみの けふぞわすれぬ
【略注】○あふひ=「葵(あおい)」「逢ふ日」を掛ける。
    ○そのかみの今日=親しかったあのころの、御阿礼祭の日。
【補説】みあれまつり(御阿礼祭) 「京都の賀茂神社で、陰暦四月、中の酉の日に行なわ
    れた葵祭の前日の、申の日に行なわれた祭。」(小学版) 「御生・御阿礼 ①神ま
    たは貴人が誕生・降臨すること。②京都の上賀茂神社で、葵祭の前三日、すなわち
    四月の中午の日(今は五月十二日)の夜に行われる祭。阿礼と称する榊に神移しの
    神事をいとなむ。賀茂のみあれ。御阿礼祭。③転じて、賀茂神社の称。」(広辞苑)

100 お言葉が少なく

2005-11-09 05:15:00 | 新古今集

 私の依拠本では「題知らず」だが、西本願寺本『伊勢集』には、「人[男]の返事せざりければ、楓を折りて、時雨のする日」の詞書がある。(小学版) 初めのうちは熱心に文を寄越してくれ、自分も丁寧に返し文をしていた。それなのに、しだいに男からの便りが間遠になり、文章も通り一遍のものになって、言葉数も少なくなった。もしや心変わりでは? せめてこの楓を眺めて、心「変えで」あらまほし・・・。というのが、悠山人の解釈。どの歌もそうだが、どうあがいても原歌の格調には、遥かに及ばない。
 ひらかなy100:おことばが すくなくなって しぐれまで
          よそよそしくて さびしくなるわ
 ひらかなs1241:ことのはの うつろふだにも あるものを
          いとどしぐれの ふりまさるらん

旋頭歌写真002 やうやうに

2005-11-09 05:10:00 | 旋頭歌写真
2005-1109-yss002
やうやうに百歌を詠み気も冽らかに
空晴れてかのコクリコの店に食せる   悠山人

○旋頭歌写真、詠む。
○約四か月半で、千二百首余り。そのなかから、気ままに選んだ百首。ほぼ同時進行で、文字どおり「曲り形(なり)にも」、読み詠み進んで来た。自身と読者と goo に乾杯!
【写真】実写を上下にコピー。35階のフランス料理店で。

□やうやうに
 ももうたをよみ きもきよらかに
  そらはれて かのコクリコの みせにしょくせる