悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

紫式部集062 忘れられ

2006-06-16 05:40:00 | 紫式部集
2006-0616-yms062
忘れられ話題にならず日が過ぎて
いったいだれに頼ればいいの?   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=久しく訪れてくれない人(夫)を思い出して、と題詞
。死んだ人がいずれ忘れられていくのは、世のつね人のつね。そう分かってはいても、残された人(私)は、どうしたらいいのよ。平王ク歌番号079。
 ¶なき=「(身のやりどころの)無い」「(悲しみで)泣いて」の懸詞。
□紫062:わするるは うきよのつねと おもふにも
      みをやるかたの なきぞわびぬる
□悠062:わすれられ わだいにならず ひがすぎて
      いったいだれに たよればいいの?
*now streaming :Artist=VIVALDI|Track=Huggett - Kraemer - Raglan Baroque Players - Concerto for violin cello strings*
 
http://65.19.173.132:4086

image118 モネの睡蓮池

2006-06-16 05:35:00 | images

2006-0616-yim118
title : Monet a aimé des lis de l'eau.
yyyy/mm : 2006/06
notes : 背景に蓮を入れて、モネの睡蓮池に見立てる。image シリーズは、注記のないかぎり、すべて実写。
☆ともかく、Microsoft の IME は不便で苛苛するばかり。こうして書く日本語WPで、日本語はさて置いて、米英語以外の言語を自由に使おうと思うと、frustration がたまるばかり。平隴望蜀と笑うことなかれ。☆


【資料】新古今集冷泉家写本

2006-06-15 21:00:00 | literature

鎌倉期の連歌、大量に/冷泉家・新古今集写本の紙の裏に

 新古今和歌集を写した冷泉家所蔵の鎌倉時代の写本の紙の裏側(紙背)に、当時盛んだった連歌が大量に記録されているのが確認され、刊行中の冷泉家時雨亭叢書第81巻『冷泉家歌書紙背文書・上』(朝日新聞社)で全編発表されている。13世紀の連歌が、断片だけでなく完成形で見つかったのは初めてで、形式が整う以前の連歌の姿がわかる貴重な史料という。
 連歌は、和歌を五七五、七七と進めて百句まで行くのが基本(百韻)だが、五十句(五十韻)や三十六句(歌仙)などの短い連歌もある。
 冷泉家に伝わる『新古今集・文永本』は、文永11(1274)年から翌年にかけて書写さというれた本で、禅忍という僧侶が筆者。当時は使用済みの紙の裏を利用することは普通で、紙背には、手紙や連歌の記録(連歌懐紙)があることが以前からわかっていた。
 『文永本』をほどいて紙背文書を検討したところ、八つの連歌が確認でき、うち二つは五十韻と百韻の各完成形だった。禅忍ら六、七人のサークルが、楽しんでいたらしい。禅忍は遊びの記録の裏側に新古今集を書写したわけだ。
 連歌に詳しい京都府立大教授の赤瀬信吾さんによると、連歌のルールの一つに、「賦物(ふしもの)」という必ず詠み込む題決めがあるが、十四世紀以降、文芸性が高まっていくにつれ決めなくなっていく。今回確認された連歌は、すべて賦物で作られていた半面[ママ、引用者注]、変化を求めるための規則(去嫌<さりきらい>)はまだ、あまり見られないという。
 「連歌の古い姿を伝えている」と赤瀬さんは語る。          (大上朝美)

朝日新聞、2006年6月15日(木)、文化総合面所載。(全文引用)


紫式部集061 庭池に

2006-06-15 05:20:00 | 紫式部集
2006-0615-yms061
庭池に映る悲しい顔立ちは
涙を落とし滝音になる   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=藤原道長邸で仏典講義があったとき
。簀子渡しの上から池を見下ろして、と詞書。平王ク歌番号069。平王クでは詞書が全く異なる。
 ¶かごと=第044歌(05月25日条)既出。
□紫061:かげみても うきわがなみだ おちそひて
      かごとがましき たきのおとかな
□悠061:にわいけに うつるかなしい かおだちは
      なみだをおとし たきおとになる
*now streaming : Artist=BACH CPE|Track=Gallois flute - Concerto f flute in A Wq 168*
 http://65.19.173.132:4086

紫式部集060 いただいた

2006-06-14 06:00:00 | 紫式部集
2006-0614-yms060
いただいたあやめの根玉と同じです
私も篭っているのですから   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=返し。せっかく気持ちを寄せていただいたのに、里居のまま涙に明け暮れていて、申し訳ありません
。平王ク歌番号065。
 ¶ひき(引き)ける=「あやめを根から引き抜く」「私を誘う」の掛詞。
 ¶みがくれに=「(あやめの)水隠れ」「(わが)身隠れ」と掛ける。
□紫060:けふはかく ひきけるものを あやめぐさ
      わがみがくれに ぬれわたりつつ
□悠060:いただいた あやめのねだまと おなじです
      わたしもこもって いるのですから
*now streaming : Artist=BIBER|Track=Seattle Baroque - Sonata III A Sei In G Min.*
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短歌写真167 芙蓉かと

2006-06-14 05:50:00 | 短歌写真
2006-0614-yts167
芙蓉かと紛ふばかりの赤き花
ただ二輪のみ絢爛と咲く  悠山人

○短歌写真、詠む。
○芙蓉は美しい女性の代名詞でもある
。芙蓉の顔(貌。かんばせ)。
□ふようかと まがふばかりの あかきはな
  ただにりんのみ けんらんとさく
*now watching : BvsC soccer*

紫式部集059 薬玉の

2006-06-13 00:10:00 | 紫式部集
2006-0613-yms059
薬玉のあやめのようにね出しして
朽ちることなくお見せしましょう   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=「薬玉おこすとて」と詞書。薬玉については新古今集現代詠025(昨年7月27日条)
。薬玉用の菖蒲(しょうぶ。あやめ)についていた歌。菖蒲を引き抜くと根がついていました。そのままにしておいたら、腐ってしまうでしょう。私もあなたへの気持ちを、朽ち果てる前に、素直に出して見たいもの。これと次の二歌、例によって、解釈に重大な影響を与える贈答者が、はっきりしない。新潮版も平王クも触れない。平王ク歌番号064。
 ¶しの(忍)びつるね(根。音)=「隠れていた根」「秘めていた本音・
 気持ち」を掛ける。異説も複数あり。
 ¶いはぬに=「岩沼で」「言はぬままに」と懸ける。
□紫059:しのびつる ねぞあらはるる あやめぐさ
      いはぬにくちて やみぬべければ
□悠059:くすだまの あやめのように ねだしして
      くちることなく おみせしましょう
*now streaming : Artist=BACH|Track=Pinnock Preston - Flute Sonata - BWV 1032 A*
 http://65.19.173.132:4086

短歌写真166 明きうち

2006-06-13 00:05:00 | 短歌写真
2006-0613-yts166
明きうち女王よ薔薇よと称へられ
散りてし夕もなぞ美しき  悠山人

○短歌写真、詠む。
○昼の実写を、夕方の鮮やかな薔薇の花びらの葬送と設定した

□あかきうち ぢょわうよばらよと たたへられ
  ちりてしゆふも なぞうつくしき