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昨日の衆議院選挙。結果はどうあれ、選挙投票率53.85%とのことで、前回選挙よりも2ポイント、戦後3番目の低さに終わる。
数日前、国政・政治体制・政治家にぼやく前にまずは「自分自身の意思」を明確にする意味で、「投票」という権利を行使(期日前投票)しました。
小さな一票かもしれませんが、自分がどう行動したかを表さないと、権利をみずから放棄することになり文句も言えなくなります。
投票することによって「政治に参加」するとともに、「社会の一員としての行動・義務」を果たすような気がして、無関心・無関心を装うことができません。
それにしても“あれほど啓蒙したのに”理由はあるかも知れないけど、10人のうち半分の人はその権利を行使せず、
市井の生活状況からかけ離れたと受け取られるとはいえ、この国の方針・ゆくえをまかされる政治・政治家に対しての不平不満・要望希望たくす意思表示をみずから放棄したわけです。
聴いた話ですが、比較的国民文化水準の高い北欧諸国では、軒並み投票率が80%を超えるのが当たり前だとか・・・。
どうやら国民の政治への関心、参加意識、注目度が“あたりまえ”のように高いこと。
その高い理由のひとつが幼少のころからの「教育」。政治参加の意義をしっかりと教育プロセスとして行うことによって、年代年齢を問わず投票率が高い水準を維持するのだそうです。
あらゆる生活の基盤としての政治活動・主権者たる国民の政治への参加・国政の方針を常に見守る国民意識・そしてこの国の将来までを常に関心を持ちうる国民感情
国民の政治への関心・政治参加は国民性・民度だけでは表せず、土台となるのは「意識を植え付ける教育活動」が大きく影響しているようです。
日本の教育・学校教育の現場ではどうでしょうか、政治・国政の役割をただのドリル形式のものでおしまいにしてしまい、そこから・・・なにも産まれません。
これではいつまでたっても国民の意識というものは変わるはずがなく、「政治改革」とかなにか叫ばれているようですが・・・国民の政治への意識改革も必要だと思います。
※※ あくまでも今回の選挙に対する「私感」であります ※※
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