観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

コサメビタキ

2005年04月29日 | 野鳥
この鳥は、なんと言っても目が愛くるしい。夜渡るから目が大きいなんて書いてある記事もあるけど。この巣をMさんに教えてもらったのだが、イチョウの枝のこぶとしか見えず、結局、鳥が来るまでどこにあるのか分からなかった。巣のある所は大きなお寺の駐車場の一角です。

青い鳥

2005年04月29日 | 野鳥
「松岡正剛の千夜千冊」から抜粋
この物語は、よく知られているように、チルチルとミチルが眠っているあいだの夢になっている。
 その夢に妖女が出てきて青い鳥の探索を依頼する。二人の子供は「記憶の国」で最初の青い鳥を見つけるが、これは籠に入れたとたんに黒い鳥になる。
 「夜の国」では大量の青い鳥に遭遇するものの、つかまえると同時に死んでいく。見えているのに捕獲はできない。つまりは、籠に入れても、つかまえるだけでも、ダメなのである。
 次の「森の国」では青い鳥が飛んでいるのに、つかまえられず、「墓の国」では死に出会って退散させられ、「幸福の国」では不幸という連中が邪魔をする。死を悼み、不幸に同情しては、青い鳥は見えなくなってしまうのである。
 こうして最後にたどりついた「未来の国」で、ついに青い鳥を生きたままつかまえるのだが、これを運ぶと赤い鳥になっていった。
 妖女との約束ははたせなかった。チルチルとミチルはしかたなく家に帰っていく。
 そこで目がさめ、隣のおばあさんが駆けこんでくる。自分のうちの病気の娘がどうもチルチルの家にいる鳥をほしがっているらしい。
 すっかり忘れていた自分の家の鳥を見にいくと、それはなんと青い鳥になっている。なんだこんなところにいたのかと、二人がその鳥を娘のところへもっていくと、娘の病気がよくなった。
 よろこんだ3人が、よかった、よかったと鳥に餌をあげようとすると、青い鳥はさあっと飛びたち、どこかへ逃げていった、とさ。

前書きが長いが、私の野鳥観察のようなものだ。
昨夜、鳥仲間がキビタキの情報を知らせくれた。
このG.W、遠くまで野鳥を探し行かなくても近場でも楽しめると思ってた矢先のことだった。
そこの場所は、距離は結構あるが、旧村だと同じ村の中、年中出かけてる所だ。先週の土曜日も行ったのだが、キビタキは、下山途中にちらりとしか見ることができなかった。
今日こそと期待して出かけたが本日も残念ながら駄目だった。
しかし、写真の青い鳥「オオルリ」は十分楽しめたが、写真の写りは良くない。

山椒は小粒でぴりりと辛い

2005年04月29日 | 野鳥
鳴きながらピリリリリと鳴くからサンショウクイ(山椒食)と呼ばれている。スマートな鳥だ。
先週、土曜日に見たので日曜日にもっと顔をはっきり写してやろうと出かけたが、残念ながら姿を見せなかった。渡りの途中だったのだろうか。
ところで、タイトルのことわざだが、「小粒で」というの「小粒でも」というのと両方使われている。どちらが正しいのだろう。「も」があるほうが分かりやすいが、口に出すときなんだか間が抜けた感じがする。
なお、この鳥、実際に山椒の実を食べているかどうか知らない。