観・環・感

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天皇陛下のお誕生日に際し、感じたこと

2015年12月24日 | 日記
天皇陛下のお誕生日に際し、宮内庁記者会代表質問に対しての陛下のご回答が、痛烈な戦争批判となっているので、改めて宮内庁のホームページを読んだ。

この中の中段に
“今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては,軍人以外の人々も含め,誠に多くの人命が失われました。
平和であったならば,社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり,このことを考えると,非常に心が痛みます。”
軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として,民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が,
民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き,敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ,海運国として発展して
いました。私も小さい時,船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが,それらの船は,病院船として残った氷川丸以外は,ほとんど海に沈んだということを
後に知りました。制空権がなく,輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも,輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。
今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ,亡くなった船員のことを思い,供花しました。”

この発言は、政府や軍が先の大戦開始時のように自国と戦争相手国との総合的な比較分析を冷静に行わず、むしろやけになって精神論だけで戦争の開始を決断
すると、例え、戦争反対論者であってもすべての人が否応なしに犠牲になってしまうということ。
そして、中国の覇権主義の拡大と尖閣諸島の領土問題があることが契機となり、今日の社会の風潮と政府の対応に危惧感を抱かれているから出てきた発言だろう。
先の大戦も侵略戦争であるから、戦争の相手になる国と自国の国力との総合比較をなおさら冷静に分析すべきなのに、単に、軍部官僚が世間から弱腰と非難される
のを嫌がり、半ば自棄になった状態で戦争に突入したこと。また、その事を先の天皇が承諾してしまったいう事実を踏まえ、一般国民に大変な迷惑をかけた事に
対しての発言だと思う。

後段に
“この1年を振り返ると,様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,先の戦争の
ことを十分に知り,考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。
私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり,行事の時に間違えることもありました。したがって,一つ一つの行事に注意深く臨む
ことによって,少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。”

この発言については、陛下は、口にはしてないが、この一年でも国家間の戦争はないものの、IS国のテロ行為やそれに伴う空爆などもあり、また、中国の海洋進出、
アメリカ軍の対応、日本の武器輸出容認などを考えると、どうしても先の戦争について考えざるをえなくなる。特に現在の政権中枢は、先の戦争の悲惨さを知らないまま
育った世代であり、さらに、その後に生まれた世代に至っては先の戦争がどのようなものかであるさえ意識してない世代である。このような状況の中、日本は急速に
右傾化し、尖閣諸島の領土問題以降さらに、戦争への危惧が強くなっている。このことに対し、強い懸念を感じるということだろう。
さらに、あえてわざわざ、陛下自身の高齢化の衰えによる間違いを口にする事は、陛下自身も不注意で間違うこともあるくらいだから、誰でも慎重に事を運ばなければ
失敗することがある。世間が「やられる前にやれ」というような風潮に傾き、特に安倍首相を始め政権中枢の凝り固まった右翼思想や封建思想は非常に心配だ。事実、
閣僚25人のうち22人が神道政治連盟に所属している。神道政治連盟の大義の一つに皇室の尊厳護持がある。しかし、これは、天皇持ち出し、それを隠れ蓑とする
ことである。実際は、「個人主義の完全否定、滅私奉公の精神の元、憲法を改正し、いつでも戦争出来るという状態にしておくという考えで、非常に危険である。」
という趣旨の事を天皇という立場を考慮され、穏健な言葉使いで表現されているのあろう。
平和主義者である陛下のメッセージを私たち国民、特に政権中枢や若い世代の人々はよく考え、また陛下のお気持ちを深く汲み取らなければならないと思う。
世界全体がグローバル社会という名の下に格差社会に陥り、先進各国とも右傾化を強めている現在、陛下の戦争の危惧に対するご心痛が晴れるようにしなければいけない
と強く感じた内容だった。