観・環・感

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粟津温泉 法師

2014年02月09日 | 旅・風景・グルメ

法師の玄関


茶室「松風」


松風の入口から右側の部屋の床の間


松風の入口から左側の部屋の床の間(この部屋で講話を聞いた。)


講話の際、この写真の左端に写っている銅鑼を使用された。
話の中でこの朱や群青の色壁は、加賀三代藩主・前田利常公から特別に使用を許されたものだ言っていた。

今年の元旦は、「伝承一千三百年 この温泉にはわけがある」がキャッチフレーズの石川県小松市の粟津温泉「法師」で
迎えた。旅館 法師の歴史は、白山の開祖・泰澄大師が粟津温泉を発見したとされる718(養老2)年から始まる。
泰澄大師が弟子に、湯治宿として任せたのが法師の始まりのようだ。
ところで、 創業の古い企業としてよくテレビにも出てくる一番有名な企業は、大阪市四天王寺にある金剛組。この四天王寺
や法隆寺など寺社の建築で知られる金剛組も2006年に578年から続いた金剛家による経営は終わっている。
長い歴史があるからというだけで経営が続くものでないことは誰でも分かっていることだが、創業家の子孫としたら、自分
の代で終わるのは申し訳ない、情けないと思い、歴史の古さを恨むこともあるだろう。
先の金剛組に話を戻すと金剛家の家訓の一つにある「儲けすぎるな」という事業の基本に外れることをしたということだ。
経営破綻の原因はバブル時代にあり、当時は、何でも高いものから売れた時代で、寺の本堂なども高級志向となり、材質や
デザインのグレードも高くなり、しかも競争でなく、特命受注が多かったので利益もかなり出た。そんな環境下で、金剛組は
高コスト体質になってしまった。コストは下方硬直性が高いので元に戻すことは難しい。しかし、やがてバブルが崩れ、厳しい
生存競争が始まった。寺の本堂なら1棟8千万円だがホテルやマンションなら1棟で5億円。とはいえ、一般建築を専門とする
ゼネコンと金剛組とでは、コスト体質が違いすぎ、常識的に考えると勝ち目がない。しかし、それを無理して受注し、5億円で
請け負ってコストは6億円ということもあったらしい。
 話を法師に戻すとバブルの頃は法師を予約をするだけでも大変だったらしい。もちろん、それが続いていれば私などは泊まれ
ていなかったのだが。当主のお話によると最近はバブル崩壊以降の長く続くデフレの影響で、合理的な手法で料金を低く抑える
旅館やホテルのチェーングループも増え、苦戦が続いているとのこと。
「耐え忍ぶこの時期に、伝統ある法師だからこそできることがある。」と一昨年亡くなった長男の寛(享年四十六歳)さんに
生前、肩を押されて始めたのが、法師の宿泊者への早朝講話である。私たち夫婦は元旦の朝に聞かせてもらった。
 午前6時45分から約1時間、北陸の伝統や文化、泰澄大師や粟津温泉の歴史やなどについてのお話を伺った。この早朝講話の
きっかけは、3年前の東日本大震災。東北で1万5千人以上の方が亡くなり、現在も自宅に戻れない人が多くいる。新聞やテレビ
で被害状況を知るうちに、自分たちが生かされている存在であり、旅館業ができることに感謝することが大事だと気付かされた。
このため、現地で復興支援のお手伝いをと考えたが、距離も遠いことから、まずは、旅館として何ができるのかを考えた。創業約
1300年の歴史を持つ法師だからこそできることは、粟津温泉を訪れた人たちに少しでも多くの文化を伝えることだと気付かされた。
長男の発案で震災から9日後の3月20日から始めた。
 4年後には創業1300年を迎え、粟津温泉1300年祭事業がある。私は、年を取ってしまったが、まだ頑張らなければならない。
しかし、人々の心と体を癒やすという旅館の目的は、1300年前も今も変わりらない。どんな工夫をしていければ今後とも今後も
考えていく必要があることなど貴重な話していただいた。

お話をしてくれたのは、1938年生まれの46代目当主、法師善五郎(ほうしぜんごろう)氏。
  


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