新年のお喜びを申し上げます。
A HAPPY NEW YEAR でございます。
2008年の「8」を横に寝かせると、無限∞という記号になるのですが、無限の始まりも終わりも起点から起点に戻るのですから、無限は末広がりにただ、広がっていくことではないように思っていた若かりしころ。
今、NHKテレビで、「さだまさしのトーク番組」を見ていましたら、いつものごとく軽妙で実の深い「いいお話」をしていました。その中で、さだ氏は「年寄りになりましょう!年寄りになるってすばらしい!・・・だって、年寄りになるだけ生きていられたのですから・・」の語りかけが・・なんとも、彼の人生の年月のひだを感じさせます。
さだまさしは、日本語の達人、日本で一番『いのち』を感じずにはいられない『長崎』出身。『日本の美しさ』を音楽で表現した第一人者ではないでしょうか。タモリが人気になってテレビで『さだまさしは暗い・陰気』と非難を受けて一時、テレビから遠ざかっていた年月もあったのだけれど、それじゃー『タモリが本当に明るい世の中を作る大衆のカリスマになれたのか?』の疑問も残ります。
マイブームの川柳をたしなんでいることと、さだまさしの「長崎のいのちの声」「日本の美しさ」の言葉の美に触れたことも案外、無縁ではないような気がします。
原点と無限は、わたしにとって同意語ですが・・みなさんはどうお考えでしょうか?
人生は無限の可能性への挑戦だ!と良く、本にも、人にも言われましたが、若いころ考えに考えた挙句、それは「原点を積み重ねる挑戦だ!」と自分なりに「定義」付けたりしたものです。
「自分の原点を大事にして生きよ!」と大人が、若い人に伝えてあげたならこんなに「生きる」ことに迷う人間を生み出さずに済んだのではないかとさえ思います。
私は、14歳の時に「自分がもし不治の病にでもなったら、鉛筆一本くらいしか買えない人生になったら、鉛筆で何かを表現できる人間になろう」と思った原点に支えられています。
グレープの「精霊流し」がさだまさしのデビュー。
「千の風になって」(新井満訳)が大ヒットした昨年。
共に同世代を生きた、「鎮魂歌」と輸入盤「逆鎮魂歌」。
時代が、「人間のいのちの原点」を必要としているのでしょうか・・。
原点はいつも動かずに世紀を超えて存在しているはずなのに。