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北海道現代川柳『泥』終刊号。ご挨拶。

2008年01月18日 | 川柳
        2004・10月現代川柳『泥』終刊号

               散 隔 情 誼

            
                    

 ◎「泥」は私にとって一体何だったのだろう。読者にとっては何だったのだろう。今のところ答えらしい応えは出ていない。おそらくこの先も出せぬままかも知れないし、ジワーッと少しずつでも分って来るような時が巡ってくるかも知れない。自己満足に始まり自己満足で終わったとしても、三年間書けないなりに書き、創れないなりに創った六冊の健気さと、最高の読者に支えられていたことを誇りたい。本当にありがとうございました。
                               (容 子)

                    

 ◎無謀とも思えるような、三人だけの柳誌「泥」との三年間を通して、手に残ったものに何があるだろう。
 そんなことをつらつら考えながらの「泥」最終号の編集であった。危険をあえて冒すことの魅力、これはもう実際に体験したものでなければ実感できない。
 人間という生き物は、不思議なもので環境に適応する自在性を持っている。
 しかし、やがてそれが一種の慣れとなり惰性へとつながる危険性を持っている。ご支援に感謝。 (さとし)
                  
                    

 ◎「泥誌を手元に置いて、漂として読んでいます。」遠くから届くエールが、何よりの起爆剤となって、泥を続けてこられたように思う。傍観者なしのスタンスは責任がいつも伴う。泥に拘りながらきた歳月は緊張と不安と喜びの連続だった。花ある言葉にも出合うた。嬉しいとも、ありがたいとも思う。川柳に対する思いが充分に消化しきれたのか、の自問は続くが、不完全燃焼でもいい。惜しまれて、いま終えることができるのは、無常の歓びであり、この至福を神に告げようか。          (テイ子)


                 


    
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