川柳250年・・その生い立ちと今後 より 尾藤三柳
短歌、俳句とともに短詩文芸として親しまれている川柳は、和歌の1000年、俳諧の500年に比べたら、まだまだ若い文芸です。その川柳が、江戸時代の中後期、新興都市江戸の真ん中に産声を上げてから、今年は250年の節目の年にあたります。
降る雪の白きを見せぬ日本橋 宝暦 7
五海道の発着点、日本のカナメとして終日人馬が行き交う日本橋。
大名行列から野良犬まで、絶えることない往来に踏み荒らされて、雪が降っている暇がないから、風景にならないという殷賑ぶりは、そのまま江戸の繁盛を物語っています。
この句が生まれたのは、いまから250年前の宝暦7年(1757)8月25日で、川柳が初めて川柳と認められた発表句のひとつです。
短歌、俳句とともに短詩文芸として親しまれている川柳は、和歌の1000年、俳諧の500年に比べたら、まだまだ若い文芸です。その川柳が、江戸時代の中後期、新興都市江戸の真ん中に産声を上げてから、今年は250年の節目の年にあたります。
降る雪の白きを見せぬ日本橋 宝暦 7
五海道の発着点、日本のカナメとして終日人馬が行き交う日本橋。
大名行列から野良犬まで、絶えることない往来に踏み荒らされて、雪が降っている暇がないから、風景にならないという殷賑ぶりは、そのまま江戸の繁盛を物語っています。
この句が生まれたのは、いまから250年前の宝暦7年(1757)8月25日で、川柳が初めて川柳と認められた発表句のひとつです。