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現代川柳『泥』にまみれて、いー感じ ! E

2008年01月25日 | 川柳
  2002年の本社句会で初めて「泥」誌を手にしたときの衝撃は忘れられない。

 全国各地から送られてくる柳誌を毎月4・5冊頂き、目を通したり通さなかったりのグータラ川柳人の端くれであったのは私。

 そこに、川柳に対してこれほど真剣に取り組む川柳家の御三人(テイ子・容子・さとし各氏)の崇高な姿勢を活字に見たとき、それ以後「泥」誌は私にとって川柳のバイブルのような存在となりました。

 それまでは、川柳歴の浅さと浅はかさが重なり、五七五・五七五とどうにか辻褄合わせで句を創っていたに違いないと自分を振り返りそう思う。

 いつからか、池さとし氏が句会に出席されるようになってから、月日を重ねるごとにさとし氏の「句の世界」が今まで、見聞きした事の無い、着想・深淵さの別世界に吟社の柳人たちも一呼吸おいて、その実力に唸るばかりでありました。

 今までの川柳といえば、伝統という箍のようなものが静かに流れる歴史の川の中で「川柳の普遍性」を重視して創らなければいけないと、自分ながらに理解するしかすべがなかった。

 けれど、私たちは現代に生きている。人間の喜怒哀楽を悟ったように創ることは出来ても、いつもどこかで消化不良の何かを抱えていたのも、いつわりのない私の中のもうひとりの私であったのです。

<池 さとし氏>

「現代川柳」の異才「さとし氏の言語の宇宙」は北海道で独自の世界を切り開いて進む川柳のパイオニアのおひとりでもあります。

<佐藤 容子氏>

 そして、生まれながらに川柳の洗礼を受けて育った佐藤容子氏亡き後は、道内各川柳誌に「追悼文」が次々と載せられ、容子さんを悼む言葉を見るにつけ、聞くにつけ、まるで彼女が「冬に咲く真っ赤な椿の花のような川柳人生」と詠んだ柳人の意味がよく理解できました。この半年、彼女の筆跡を追いながらその聡明さ、賢明さ,そしてそのひたむきさに魅了され、いつも心の底から彼女に癒され励まされ、私自身も支えられていたような気がします。

北海道川柳界の大きな期待の水を注がれ咲かせた一輪の真っ赤な美しい「つばきの花」。

   それが、ある日突然満開に咲いたとたんに、音もなくポトリと散ったのです。

今でも、北海道の各柳誌に容子氏の話題が載るのですから・・すごい華のある川柳家です。

     2006年旭川「原流」誌に記載された容子氏の絶句です。

          雪を吸い尽くして林檎の樹にりんご

    まるで、ご自分の人生そのものを集約させたような句姿です。

  容子さんの軌跡は、これからも北海道川柳界の伝説のおひとりになって行くのだと信じて疑いません。

<青葉テイ子氏>

 それから、忘れてならないのは、この函館が生んだ青葉テイ子氏の文筆力の高度さです。

 ひと言・ひと言が織り成すテイ子流儀の訴求力のすごさは「一体ナニモノゾ!」。
彼女の文章を記載するごとに、「はっしと言霊がうねる!跳ねる!踊る!」あー!それをなんと言おう・・この抑揚・リズム・ことばのコンビネーション。ともかく凄い・すごい・スゴイ。何がすごいって・・テイ子さんの作家魂が凄い!!。

  これほどの筆跡を残せるようになるまでの道程に、思わず合掌したくなります。

 彼女の優秀な「遺伝子脳」プラス・信じられないほどの鍛錬の賜物の結晶であるその時間の重さ・良い意味での過酷さを感じずにはいられません。・・それを賞賛する的確な言葉が出てきません。

 テイ子さんの「いつも涙を流しながら書いているの・・」の声がふと聞こえてきます。

   「原流」誌近詠です。
             朱い実が熟れた喪の家ふんわりと
             ルビを振る少し外れた脳抱いて    テイ子

 川柳の学習は今、始まったばかりの自分です。体得という今回の学習方法は、今まで、本を読んでいたのとはまったく次元が異なる、視覚に触覚が重なり、何度も同じページに目を通す度に、不思議と「泥」誌が自分の中でスムースに消化されていくのが大きな喜びでありました。

  御三人の川柳に対する真摯で、実直で芳醇なことばのまなざしを浴びた日々。

 北海道川柳史に燦然と煌くみっつの星を、これからも眩しく仰ぎ見るつもりです。

          ありがとうございました。×100回です。

           








    
                    




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