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企業とオリンピック選手(アスリート)E

2008年01月03日 | 川柳

 先ほど、イチローのテレビの特番を観ていたら、いつか、書いて残しておこうとずーっと前から感じていた『大企業とオリンピック選手(アスリート)』について触れてみようと思う。

1972年札幌オリンピック。「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本中が喝采に沸いた、笠谷(Nウイスキー)・今野(旧拓殖銀行)・菊池(○印乳業)三氏のその後の人生の歩みであります。

 お三人とは、1973年道新の授賞式に同席させていただいた、あの日の感激を忘れることはありません。受賞のことより、笠谷さんの大ファンだった私は朝から・うきうきモード。2度目の対面でした。

 高校時代に仲の良かったクラスメートが、笠谷さんと同じ部署で働いていたので、定期的に今まで近況を聞くことができた。

 数年前にNウィスキーで、人員整理があり、自社退社を募ったところ、笠谷さんが申し出て、退職をされたという。社員は一同に笠谷さんだけはやめるはずがないと思っていたという。社員間では大きな失望が走ったという。

 私は、それを聞いて心の中で「良かったね・・笠谷さん・・やっと自分を生きれますね」と大拍手を送った。

 企業の広告塔で生きた彼の仕事は、外から垣間見るだけなのですが、オリンピック後、札幌すすきののNウィスキーのアンテナバーの店長になったと聞いた時は、「企業」に対して激しい怒りを感じた若き日の私がいた。

 オリンピックの金メダリストに、そんなことをさせていいのか!!という、怒りだ!
広告塔とはいえ、何を考えているのか!というスポーツマンの純粋性と言ってもいいだろう。私なら「企業をやめる!」

 月日が流れ、「営業企画販売課」の顔になり、笠谷氏イコール商品の収益に結びつけた企業戦略。部長までになった事だけは聞いていたのだけれど・・。

 そして、退社。企業はすぐれた「商品」を売るところであって、笠谷氏の顔で社運を託す戦略ではないでしょう!という思いが、退社という事実に、昔、となりで一緒に食事をさせていただき歓談させていただいた、あの、あこがれの笠谷さんが企業戦士の鎧をはずし、また、白銀の世界に戻ってきたような気がしました。

「今まで、どんな思いで、仕事をされていたのだろう・・ずいぶん苦しまれたろうな・・」などと、事あるごとに感じていました。

 旧拓銀の今野氏をテレビで拝見したのは、数年前、石狩茨戸のリゾート施設の債務の後始末が拓銀生活、最後の仕事の責任者になっていたのです。インタビューのお顔を拝見して、お三人の中では、ちょっとはにかみやさんで、とてもナイーブな感じがして仲間から、人気がありました。

 そして、母校の先輩、青地氏は○印乳業でジャンパーのコーチ・監督としてずーと君臨されていたようです。

 世界の栄光をつかんだ考えられないほどの「苦難の道は」笠谷氏の当時の後姿をごらんになった方は感じていらっしゃると思いますが。

 私は、笠谷氏の歩く後姿に当時思わず、「胸が詰まってどうしようもなかった!」

 それは、通常であれば人間は歩行する時の後姿は、お尻の位置が軽く前後左右に揺れるのが当たり前ですが、笠谷氏の歩き方は「お尻が10センチ近くも上下にスライドしてしまうのでした。

 整形外科医ではないので詳しくはわからないのですが、おそらく腰のじん帯が伸び切って、筋肉が奇形化してしまったのだろうとその時、とっさに、感じました。

  「世界一と」「日本一」の大きな差を見たような、衝撃的な出来事でした。

 若かった私は、その後姿に思わず手を合わせて、「世界一になるとは身体を奇形にすることか」世界一のすさまじさも思い知った気がしました。

         身体をそこまで、酷使した笠谷さん。

 大企業が、自分たちの営利目的、責任転嫁を図る戦略の道具に使うのは、彼らの思いとはかなり、かけ離れてもいたように思うし、事実そうだとも思う。

 (指示命令には、絶対的に応える習性が強い、上級スポーツマンは、ある意味悲しい運命を抱き抱えることも多々ある。)
 
        しかし、この三社とも、天からの罰は下った。

 ひたむきに国民の夢を叶えた三氏の「すばらしさを」「栄光を」「歴史を刻んだメダリストの本当の思いを経営者は理解していたのか?」今まで、何度も、何度も、悔しく思ってきました。

    彼らは、「アマチュアスポーツ選手」の日本の代表であったのです。
   今のような、コマーシャルでお金などいただけない、サラリーマンなのです。

 年月は流れ、昨年札幌のすすきののとある、飲食店に友人と行った折、夕べは笠谷さんがお見えになっていましたよ!と伝えられ、「あーお逢いしたかったなあ!今でも、笠谷さんの2枚のサインは私の宝物です。」と、私の中の青春の再会を果たしたかった。

   私の中の、永遠のヒーローは、今も大空高く赤いつばさで飛んだままです。








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