およそ半世紀余りも経つ戦後ロマンチック左翼の残影を、未だに性懲りもなく引き摺っているわたしは、一寸した意見を述べようとする場合でもすぐ肘を張る「へき」があるのだが、まず始めに一呼吸して、『泥』五冊を並べると、誌名にかぶせた『現代川柳』というサブタイトルに気をとられた。
通常時代区分に何気なく使われがちな<現代>という単語は、こと文学史の中では各ジャンルの時間と表現形式の指向を分類する。
<現代詩>とか、<現代俳句>のように、とりわけ旧来の定形や韻律、更に風雅ーわびさびに代表される伝統枠から」の批判脱却を意味することが多いようで、当然体制保守層から難解とか独善、またはいたずらに前衛ぶってなどのレッテルが貼られがちだという思いが浮かんだからであった。
つまり孤立ー先細りという辛い記憶が根深く残っていて、少なくともそうならせてはなるまいと考えるのがだが、はたしてそういう姿勢はまったく正しいのだろうか。
もともと人間社会の本質を活写しようとした川柳本来の喜怒哀楽の持つ健康なエネルギーが、明治・大正・昭和と移る時流に筋骨が抜かれ、花見遊山や祭礼のぼんぼりや短冊飾りで庶民にわずか披見されるだけの、くすぐり、駄洒落に堕ちてしまったという、戦後の深刻な反省が先ずあって、片方で「第二芸術論」という伝統端子系に、川柳界一般の現況は気が効いたとされる訳知り顔の、それこそ、<月並み亜流>がまたしてもはびこっているというのが、常々私の印象でこれを容易には拭い取れないのだ。
<現代>とはもともと第一次世界大戦(19014~18)語の年代を指し、日本では一般に太平洋戦争以後を意味するという。先の指向の根本を探ると、夫々がたずさわっている文学ジャンルの社会的土壌へのひろがりように、多分のあせりを含めた不安定なコンプレックスも作用していたこともあったのではないかと思いつく。
表現の<尖端あるいは前衛>とは文学世界の構造全体、つまり<中衛ー後衛>を含む日本社会の文化許容量に対する牽引者の優越意識なしには生まれない、その裏返しでもあり、いくらか視点を高めたなら前向きにひたすら未知を切り拓こうとするヒューマンな試みを究極まで評価すべきは明らかである。
但し己を先駆者と位置づける余り、多少の逸脱でも許されるだろうと全能の神を擬した過去の至上主義者の撞着は断固ノーだと断罪することも当然なのに、それさえよしとする自大野郎が、まだ一部残っているのもまた事実である。
続く・・・・。