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北海道現代川柳『泥』終刊号によせて E

2008年01月21日 | 川柳
 青葉テイ子・佐藤容子・池さとし各氏が三年間という時間設定をして、発刊された川柳誌『泥』が第六号をもって終刊の運びとなりました。

 2002年4月から2004年10月まで、御三人が自分達のキャラクターを失わず、三角形の原型を留めたまま、渾身の筆で綴られた「泥」。「泥」。「泥」。

「泥」という「誌名」であっても、御三人の川柳に対する深淵な思いは「真清水のごとく」真摯で実直なこころざしに溢れておりました。その気概を載せた三人の舟は、とうとうと流れみなぎる言語の河を旅して今、私もブログの記載を終えることが出来ました。

 お三人の心の底から湧きあがる美しいまでに昇華された「たましい」に触れることも出来ました。
じんわりと五臓六腑のすみずみまで、ひたひたと感じずにはいられない、幸福感。そして充実感をたっぷり・たっぷり噛みしめられたことは、私にとって、この上ない人生の喜びであります。

 あっ!という間の「人生の息継ぎ」であったやも知れません。

 それでは、終刊号のまとめに入ります。(これが、転載するわたしの課題であります。)

◎「緞帳はゆっくり」テイ子さんの「ご挨拶」からページは始まります。
・・日本人の心を捉えて咲く、さくら ぱっと咲いて散る花の美学にも似ての「泥」と言ったら、少し格好よすぎるかな・・・

 「泥」に明け暮れ、産まねばならなかった三年の歳月はたまらなく愛おしい。
星になれたか・・ありがとうの・・の言葉を残して舞台を去る、深々と頭を垂れて・・・

◎一種の、狂気に近い状態に精神を放出したとき、剥き出しになった思考や感情が、抽象と具象を行きつ戻りつ自然体になって行くのである。

        書くことで自分を開き、書くことで自分を閉じる。
        創ることで想を結び、解くことで想をひろげる。
        「泥」の誕生と解散、これも呼吸のひとつである。(容子)

◎全国から投句された90名の川柳が並ぶ。
             トップバッターは、函館川柳社主幹の句。

        正論の槍はいつでも研いでおく   苦郎

   一般社会ではなかなか「正論」が受け入れられないことが多い・・が。

 川柳界では、正論を磨くことが「川柳人として生きる」大事な心構えの一つであります。

        泣くもんか雨の日に咲く青いバラ   万依(容子さんのお母様)

 親子二代の北海道を代表する女流川柳家でありますが、容子さん亡き後に、この一句を鑑賞するのはちょっと辛いものがあります。

                                  続く・・・。





 
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