青葉テイ子・佐藤容子・池さとし各氏が三年間という時間設定をして、発刊された川柳誌『泥』が第六号をもって終刊の運びとなりました。
2002年4月から2004年10月まで、御三人が自分達のキャラクターを失わず、三角形の原型を留めたまま、渾身の筆で綴られた「泥」。「泥」。「泥」。
「泥」という「誌名」であっても、御三人の川柳に対する深淵な思いは「真清水のごとく」真摯で実直なこころざしに溢れておりました。その気概を載せた三人の舟は、とうとうと流れみなぎる言語の河を旅して今、私もブログの記載を終えることが出来ました。
お三人の心の底から湧きあがる美しいまでに昇華された「たましい」に触れることも出来ました。
じんわりと五臓六腑のすみずみまで、ひたひたと感じずにはいられない、幸福感。そして充実感をたっぷり・たっぷり噛みしめられたことは、私にとって、この上ない人生の喜びであります。
あっ!という間の「人生の息継ぎ」であったやも知れません。
それでは、終刊号のまとめに入ります。(これが、転載するわたしの課題であります。)
◎「緞帳はゆっくり」テイ子さんの「ご挨拶」からページは始まります。
・・日本人の心を捉えて咲く、さくら ぱっと咲いて散る花の美学にも似ての「泥」と言ったら、少し格好よすぎるかな・・・
「泥」に明け暮れ、産まねばならなかった三年の歳月はたまらなく愛おしい。
星になれたか・・ありがとうの・・の言葉を残して舞台を去る、深々と頭を垂れて・・・
◎一種の、狂気に近い状態に精神を放出したとき、剥き出しになった思考や感情が、抽象と具象を行きつ戻りつ自然体になって行くのである。
書くことで自分を開き、書くことで自分を閉じる。
創ることで想を結び、解くことで想をひろげる。
「泥」の誕生と解散、これも呼吸のひとつである。(容子)
◎全国から投句された90名の川柳が並ぶ。
トップバッターは、函館川柳社主幹の句。
正論の槍はいつでも研いでおく 苦郎
一般社会ではなかなか「正論」が受け入れられないことが多い・・が。
川柳界では、正論を磨くことが「川柳人として生きる」大事な心構えの一つであります。
泣くもんか雨の日に咲く青いバラ 万依(容子さんのお母様)
親子二代の北海道を代表する女流川柳家でありますが、容子さん亡き後に、この一句を鑑賞するのはちょっと辛いものがあります。
続く・・・。
2002年4月から2004年10月まで、御三人が自分達のキャラクターを失わず、三角形の原型を留めたまま、渾身の筆で綴られた「泥」。「泥」。「泥」。
「泥」という「誌名」であっても、御三人の川柳に対する深淵な思いは「真清水のごとく」真摯で実直なこころざしに溢れておりました。その気概を載せた三人の舟は、とうとうと流れみなぎる言語の河を旅して今、私もブログの記載を終えることが出来ました。
お三人の心の底から湧きあがる美しいまでに昇華された「たましい」に触れることも出来ました。
じんわりと五臓六腑のすみずみまで、ひたひたと感じずにはいられない、幸福感。そして充実感をたっぷり・たっぷり噛みしめられたことは、私にとって、この上ない人生の喜びであります。
あっ!という間の「人生の息継ぎ」であったやも知れません。
それでは、終刊号のまとめに入ります。(これが、転載するわたしの課題であります。)
◎「緞帳はゆっくり」テイ子さんの「ご挨拶」からページは始まります。
・・日本人の心を捉えて咲く、さくら ぱっと咲いて散る花の美学にも似ての「泥」と言ったら、少し格好よすぎるかな・・・
「泥」に明け暮れ、産まねばならなかった三年の歳月はたまらなく愛おしい。
星になれたか・・ありがとうの・・の言葉を残して舞台を去る、深々と頭を垂れて・・・
◎一種の、狂気に近い状態に精神を放出したとき、剥き出しになった思考や感情が、抽象と具象を行きつ戻りつ自然体になって行くのである。
書くことで自分を開き、書くことで自分を閉じる。
創ることで想を結び、解くことで想をひろげる。
「泥」の誕生と解散、これも呼吸のひとつである。(容子)
◎全国から投句された90名の川柳が並ぶ。
トップバッターは、函館川柳社主幹の句。
正論の槍はいつでも研いでおく 苦郎
一般社会ではなかなか「正論」が受け入れられないことが多い・・が。
川柳界では、正論を磨くことが「川柳人として生きる」大事な心構えの一つであります。
泣くもんか雨の日に咲く青いバラ 万依(容子さんのお母様)
親子二代の北海道を代表する女流川柳家でありますが、容子さん亡き後に、この一句を鑑賞するのはちょっと辛いものがあります。
続く・・・。