現代川柳『泥』終刊号
伝統川柳、現代川柳、そして一般大衆を包容しての企業川柳、この川柳の多様化は、今、川柳界に生きる私達に何かを示唆しているように思えてならぬ。
平明で、思いが深く読み手に一目瞭然の川柳、よくぞ言ってくれた、と万人が膝を叩く小気味よい川柳、日常という小宇宙の中で繰り広げられる人間模様の多彩さに目をとめて詠う、具象川柳五七五は、川柳の王道かも知れぬ、と、真底おもう。
意とする事が難しくて、さっぱり解らない、と、一括りにされる私の川柳。解る川柳と解らない川柳、まるで、抽象画を観るように、解らないけれど何か魅力のある川柳、言語が引き出す無限の世界は、あらゆるイメージを駆りたてる。
現代川柳、一行詩としての美しさ、叙情に裏打ちされた作品こそ、文芸として昇華し得るものだろう。メタファーを効果的に配して一句を成す心象風景は、読み手のイメージを更に四次元の世界へと誘う。ただし、それは読み手の資質と感性のいかんにも左右され得る。
十人の読者が、全く別な解釈もまた成り立つ
現代川柳の奏でる炎(ほむら)は美しく・・そして哀しい。
続く・・・・。
伝統川柳、現代川柳、そして一般大衆を包容しての企業川柳、この川柳の多様化は、今、川柳界に生きる私達に何かを示唆しているように思えてならぬ。
平明で、思いが深く読み手に一目瞭然の川柳、よくぞ言ってくれた、と万人が膝を叩く小気味よい川柳、日常という小宇宙の中で繰り広げられる人間模様の多彩さに目をとめて詠う、具象川柳五七五は、川柳の王道かも知れぬ、と、真底おもう。
意とする事が難しくて、さっぱり解らない、と、一括りにされる私の川柳。解る川柳と解らない川柳、まるで、抽象画を観るように、解らないけれど何か魅力のある川柳、言語が引き出す無限の世界は、あらゆるイメージを駆りたてる。
現代川柳、一行詩としての美しさ、叙情に裏打ちされた作品こそ、文芸として昇華し得るものだろう。メタファーを効果的に配して一句を成す心象風景は、読み手のイメージを更に四次元の世界へと誘う。ただし、それは読み手の資質と感性のいかんにも左右され得る。
十人の読者が、全く別な解釈もまた成り立つ
現代川柳の奏でる炎(ほむら)は美しく・・そして哀しい。
続く・・・・。