川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

『狼煙はどこまで届くのか』かなまる よしあき

2008年01月09日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 表現者にとってごく少数者だという自己確認は求めて選んだ立場だとしても、それは絶えて白昼の大道ではあり得ず貧困や危険さえ伴いがちな辺境を辿ることににもなり、更に極限近くまで細分化された社会総体の仕組みにほんの瞬間露出する裂け目に鏨を打ち込み、極限の人間存在に対峙しようとする営みは、創造主体としての個々の選別を重ね、ミクロ集団による凭れ合いに嵌まり易いという側面も足腰にかかることになる。

 これは虚仮脅しなどではない教訓遺産として意識の中に据えた方が良いだろうと思うことしきりなのだ。

 また、日常十重二十重に錯綜する対称のどこに狙いを定めるかが、表現者が全能でない以上、常時切っ先にかぶさっているのだから、うかうか耳ざわりの良い俗性論にひっかっかると、なし崩しの情緒に解消してしまう例には事欠かないだろう。

 結社、『泥』に戻すと、地勢上三人の拠点、函館ー室蘭ー苫小牧を結ぶ曲線が、いみじくも北海道史のそもそもの流通経路とぴたりと重なるのは単に偶然なのだろうか。

 とくに室蘭ー苫小牧ーの孤をそのまま延ばして縦断山脈を跨ぐと道央の真芯大雪に達し、またほぼ直角に北折するなら200万人が蝟集する道都に直通する。

 つまり川柳のスナイパー(狙撃兵)と私が名づけたい三人の戦略配置は仲々のものである。

                            続く・・・。
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