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「川柳」は点者(選者)の俳名(名前)

2008年01月29日 | 川柳
                尾藤三柳

 当時、江戸時代には前句附という庶民的な文芸が流行していました。

 これが万句合という一種の懸賞募集形式で、まず点者(選者)から出題して応募句を集め、定まった日に勝句あるいは番勝と呼ばれる入選句を発表、高点順に褒賞が与えられるというシステムになっており、三都(大阪、京都、江戸)には、数多くの点者がいましたが、その江戸点者の一人が無名庵川柳こと柄井八右衛門(1718~1790)でした。

 江戸は浅草新堀端、天台宗龍宝寺前(現・台東区浅草蔵前4丁目)の名主を勤めるかたわら、この日、宗主として初めて開キ(開巻とも。入選句発表)を行ったのです。この点者の俳号「川柳」が、やがて文芸の名として呼ばれるようになります。江戸時代の音曲などは別として、これは他の文芸と比較してもきわめて異例のことですが、この理由につい
ては後で考えます。

 いずれにせよ、この第一回の開キが、以来250年を経て現代にいたる新たな短詩文芸の扉を、初めて押し開いたのです。
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