火の山から下りると、すぐそこが、みもすそ川公園です。
公園前に広がる海は、関門海峡でも、最も狭い、「早鞆の瀬戸」と言われる、船の難所です。
この先が、原平合戦の最後の地、壇ノ浦です。
↑壇ノ浦の激流。
源義経、平知盛合戦の像。
↑安徳天皇入水像の碑。
幕末、この海狭で勃発した攘夷戦「馬関戦争」の砲台跡。
この戦いを機に、幕府の一層の衰退が進み、大政奉還から、明治維新へと至ります。
↑下から見た赤間神宮。
神宮ですから、天皇を祀るところです。
清盛病没の後、平家は次第に力を失い、源氏に追い詰められて、ついに、ここ、壇ノ浦に
最後の一戦を期すことになります。
両軍合わせて、4000隻の船が結集した、天下分け目の大海戦の幕が切っておとされます。
平家は、最初、潮の利を得て、優位に立ちますが、源氏の奇襲と、潮目の変化により、次第
に不利となり、ついに、最後の時を迎えるに至ります。
清盛入道の正室(時子)「二位の尼」は、幼少の安徳天皇を抱き、「海の中にも都はある
(注)」と詠って、海中に身をを投じます。
安徳天皇、亨年8歳の時でした。
↑の赤間神宮に祀られております。
赤間神宮は、この故事により、龍宮城を模して作られました。
(注)「今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」
境内には、平家物語を歌った琵琶法師、耳なし芳一も祀られています。
↑芳一堂。
↑清盛の盛をもらった、平家7人を祀った七人塚。