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我が町三重

2012-11-15 00:38:00 | 写真

当ブログにお出で戴いている皆さんのうち、大半の方は、mcnjの住んでいる地区名をご存じのことと思いますが、三重県四日市市三重地区ですね。

戦後の市町村合併で、四日市市に編入されましたが、三重地区の歴史を調べて見ると、意外と、興味深い事実が分りました。

四日市市に編入される前の、この地区の住所は、三重県三重郡三重村だったそうです。

何と、三重県の一丁目一番地と言う事になります。

三重と言う地名の由来は、遠く「古事記」にまで遡ります。

日本武尊が、東征の帰り、桑名から亀山へ行く途中、この地区の、御舘と言う所で休憩をし

た折に、「吾が足は、三重に勾りて、甚だしく疲れたり」と言って、池で足を洗ったと記されてい

ます。

その故事により、この地区を三重と呼ぶことにしたと言われています。

明治2年の旧国郡制施行時にも、伊勢国三重郡が制定されました。

三重県の名前の謂われについても、面白い歴史があります。

明治政府の廃藩置県の際、伊勢国には、8藩がありましたが、これらを全て廃し、新たに8県を設置します。

三重の有った、四日市には、藩が無かった為に、三重県は置かれませんでした。

その後の、県統合によって、度会(松坂)、安濃津(津)の2県に統合されます。

倒幕戦争の論功行賞に不満を抱いていた安濃津県庁の役人を排除する為に、県庁を四日市に移設し、三重郡の三重を取って、三重県としました。

その後、さらに統廃合が進み、度会県と、三重県が統合され、三重県として安濃津(津)へ戻されます。

安濃津は、所在地であるにも関わらず、安濃津県の名前が付けられなかった事に激しく抵抗しましたが、結局、三重県のままになりました。

我が町三重には、この様な経緯が有ったのです。

三重地区には、日本武尊になじむ遺跡が残されています。

A20_2

↑日本武尊の由来を記した石碑。

A21_2

↑日本武尊が足を洗ったと言われる池、「洗足池」。