しつっこい夏風邪から、ようやく、解放されました。
発症してから、約、半月でした。
と言っても、治癒したわけではありません。
医者かよいから、解放されたち言う意味です。
症状が深刻になって、医者へ行き始めて、10日です。
5日の通院でした。
これまで、同一の病名で、5回も通院したことは、他にありませんでした。。
今回の病気が、mcnjにとっては、如何に、難病であったかと言うことです。
もう、何十年も前のことになりますが、社会人ラグビーの有名選手が、試合後、
都内の有名病院に通院して、そのまま入院してしまいました。
次の試合に、病院から、出場して、勝利をおさめ、スポーツジャーナルの称賛を受けたことがありました。
大方のサラリーマンは、何らかの違和感を感じたものです。
朝起きて、高熱を発していて、極度に、疲れていても、サラリーマンは、満員電車に乗って、通勤したものです。
工場や、研究室では、必要なデータを得るために、徹夜で実験したものでした。
ラグビーをプレイできる奴が、入院するなんて、考えられませんでした。
病院は、病気を治療するための施設であって、スポーツ選手の、体調を整えるための施設では、ありません。
父親のことを、思い出します。
あの頃は、医者代はものすごく高く、庶民は、おいそれとは、医者には懸れませんでした。
社会保険制度も、不十分でした。
庶民は、病気になっても、医者へは行かず、家で、じっとしていたものでした。
その後、国民医療保険、健康保険制度が、充実して来ると、庶民も、気軽に、病院へ行けるようになりました。。
心臓の弱かった父親は、大喜びで、病院通いを始めました。
病院へ行けるということが、自慢の一つでもあった様でした。
両手に、治療薬をもって、嬉しそうに帰ってきては、飲み続けていました。
父親が逝った、葬式の日のことです。
火葬場で、骨を拾っている時のことでした。
心臓の周りから、緑色の線が、体中に伸びていました。
恐らく、血管に沈着した物質が、骨に焼き付いていたのでしょう。
父親の飲んでいた、薬の成分だったと思います。
薬に含まれていた、鉄化合物が、熱で還元されて、酸化第一鉄として、発色したものでしょう。
心臓の回りだけ、異常に緑色が濃かったことを、覚えております。
病院でもらった2日分の風邪薬を抱えながら、こんなことを考えてしまいました。