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戦後75年の記憶、臭い飯

2020-08-01 12:00:13 | 学問

皆さんは、臭い飯を食べたことがおありだろうか。

もちろん、そんなことは有り得ない。

愚問である。

mcnjは、食ったことは無いが、嗅いだことはある。

戦争末期、第50連隊のあった松本も、いよいよ危ないと言って、兵体たちは、連隊本部のあった神林(ここ

には、飛行場もあった)から、市内の小学校に分散して、疎開してきた。

mcnjがいた、清水小学校は、町はずれにあって、郊外の村との境目であった。

校舎の南北両側に、体操場があって、その一つを、兵隊たちの宿舎に使っていた。

宿舎と言っても、兵隊たちが、寝泊まりするところであった。

体操場の床に分厚く藁を敷いて、その中で、寝泊まりしていた。

兵隊たちは、軍事教練をしようにも、校庭は、トウモロコシやさつま芋の畑になってしまっており、教練

場所がなかった。

兵隊たちの仕事と言えば、鉄砲を担いで、市外を行進して歩くこと、三度の飯を用意すること、着るもの

の洗濯くらいであった。

普通、兵隊の食事と言えば、戦地では、飯盒炊飯であったが、内地では、一括して、水蒸気炊飯であっ

た。

大きな釜の中に、高温の水蒸気を吹き込んで、蒸して炊くのである。

これが、また、物凄い匂いを発するのである。

朝、生徒たちが登校すると、まず、この匂いに悩まされた。

鼻をつまんで、息を止めて、釜の横を通り過ぎたものであったが、匂いは、教室のなかまで充満してい

た。

そんな環境で、授業を受けていたのであった。

しかし、一週間もしたら、臭い匂いに慣れて、気にならなくなった。

刑務所の臭い飯は食ったことはないが、恐らく、似たようなものであろう。