もう直ぐ、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。
昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。
5年前の過去ログである。
幼い昭和の戦争の語り部の記憶である。
日本の敗戦から、1週間も経たない頃であった。
米軍の飛行機が、盛んにやってきて、威嚇飛行が始まった。
地上軍を進行させるには、勝った米軍としても、時期尚早と考えたのであろう。
不測の事態を避けたのであろうか。
圧倒的な戦力の違いを国民に見せつけて、戦意を消失させようとの、戦略であったろう。
実際威嚇飛行が始まって見ると、彼我の戦力の違いは、一目瞭然で有った。
ジェット機は来なかったが、同じプロペラ機でも、ゼロ戦とグラマンの違いは、圧倒的であった。
これでは、いくらゼロ戦のパイロットが優秀であっても、勝てるはずが無いことは、誰の目にもわかった。
日本人の戦闘意欲、反米意識は、急速に失われて行ったようであった。
しばらくは、教室での授業の声が聞こえなくなるほど、頭上近くを、米軍機が超低空で飛び回っていた。
戦闘機ばかりでなく、中には、爆撃機も参加していた。
見たこともない、その機体の大きさには、度肝を抜かれた。
やがて、どのくらい経ったのかは、覚えていないが、松本にも進駐軍が進駐してきた。
米兵の図体の大きさには、また、たまげたものであった。