70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。
昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。
朝日新聞の日曜版の記事である。
数年前の記事あるが。
画像が悪くて、お読みいただけないが、朝日新聞日曜版、デジタルで検索して、是非お読みいただきたい。
新天地を求めて満洲帝国建国に走った、男たちの、理想と挫折の物語を、長谷川一夫主演の映画、清水の次郎長の血槍富士に
重ねて解説したものである。
満洲帝国の実質的指導者、甘粕中将と、No.2の岸信介。
日本の敗戦濃厚となると、岸信介は、軍用機で日本本土へ逃れるが、甘粕は、敗戦を知り、拳銃自殺を遂げる。
岸は、極東軍事裁判にかけられるが、商工相時代、軍部が、満州の資源を、本土へ運んで、戦争には使うように強要した時に、
満州国の資源は、満州国のために使うべきだと反対したことが評価されて、罪一等を免じられ、絞首刑を免れて、禁固刑で、
巣鴨刑務所に収容された。
刑期を終えて、風呂敷包み一つを抱えて、出所して、不安そうに周囲を眺めている姿が、週刊誌に乗っていた。
後に、安倍晋太郎は、岸の女婿となった。
晋太郎の息子、晋三は、岸信介DNAを受け継いでいるといっても、過言ではなかろう。