もう直ぐ、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。
昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。
日本が、敗色濃厚の時であった。
信州の田舎の松本も、空襲が近いと言うので、その対策を迫られた。
松本には、日本軍の第50連隊があり、いずれは、米軍の攻撃目標となるものと思われていた。
都会から、松本の郊外に疎開してきた者たちも、そろそろ、もっと田舎へ疎開しようと考えていたようだ。
50連隊は、米軍の空爆を避けて、市内の小学校へ避難してきていた。
学校には、軍隊が避難していると言うことは、米軍のことだから、当然、承知していたはずである。
軍部は、上空から、飛行機に発見され無いように、校舎の屋根に、迷彩を施すと言うのである。
その頃は、軍部でも、物資が払底しており、屋根に塗るペンキにも事欠いていたらしい。
図画の時間に、生徒に持って来させた絵具を、必要な色だけ各人に溶かさせて、兵隊たちが、バケツに入れて回収して行った。
それからしばらくは、兵隊たちは、校舎の屋根の上に上がって、毎日のように、迷彩を施していた。