もう直ぐ、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。
昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。
昭和20年8月15日、日本は負けた。
もう、戦争は終わった。
そんな意味のことを、兄たちから聞いた。
mcnjが小2の時である。
午前中だったと思うが、学校は無かったのだろう。
一番上の兄が、父親の自転車を引っ張り出して来て、後へ乗れと言った。
なんのことか、理解できないまま、自転車でどこかへ連れていかれた。
大勢の大人たちが集まって来ていた。
兄は、その中に混じって、じっとラジオを聞いている様だった。
ひどい雑音で、耳を澄まして聞き入っても、よく聞き取れなかった。
仮に、聞き取れたとしても、mcnjには、その意味する所は理解できなかったであろう。
やがて、また、自転車に乗せられて、家へ戻った。
父は、仕事に行っていたのだろうか、夕方帰って来て、3人の兄達と、ボソボソ語り合っていた。
これからどうなるのか、予測は着かなかったが、4人の、深刻そうな顔から、何か、大変な事態が起こりそうだと言うことは分かった。
それからあとのことは、良く覚えていない。
翌日、学校で、どんな話があったのか、不思議なことに、あまり記憶が無い。
実際、何も無かったのだろうか。
敗戦と言うものに対する、小学2年生の記憶と言うものは、その程度のものだったのかもしれない。
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本シリーズの戦中に関する記憶も、本稿が最後となった。
信州の山の中の田舎の出来事を、小学一年生が見聞した、幼い記憶である。
本来なら、降りかかる焼夷弾の中を逃げ惑う母子の記憶、火を引いて飛んで行く艦砲射撃の記憶、焼け跡に呆然と佇んで、周りを見渡している記憶などを書ければよかったのだが。
願わくば、mcnjより年長な方、都会で経験された方々の、語り部としての記憶を書き残していただきたいものである。
次稿より、もうしばらく、戦後の記憶を書き残しておきたい。