言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

絵描き小僧展

2012-09-09 | 所感折節
ビートたけしの展覧会に行ってきた。とってもモダンな東京オペラシティーにあるアートギャラリーでやっていた。約80展余り。大半がキャンバスに描いたものだけれど、何点かは創り物もある。なんでこんな絵を始めたのか。『おいらが、なぜ突然絵をはじめたかっていうと、「HANA-BI」の撮影に入る前に絵コンテを描いてみたんだ。だけどいくら自分のイメージを描いても、現実には制約が多くてそのまんまは撮れっこない。無駄だと思ってやめたんだけど、せっかくだから、色をつけてみようかって。そこからはじまって、勝手に描いていたら絵がだんだんギャグになってきて、止まんなくなった。くだらないアイディアがどんどん出てきて、自分でも「しょうがねえな」と笑っちゃうよ。』と。『絵といってもしょせん「便所の落書き」だから、画家宣言なんてする気はないよ。』と言ってるけれど、カルティエ現代美術財団がサポートして、パリで好評を博したというから、もう立派な現代アーティストの一人と言うことなんだろう。しかし作品のバカバカしさ、くだらなさには、文句なく笑ってしまうのだ。「くだらねー、なにこれ」とか「バカバカしい。よくこんなもの、恥も外聞もなく出してくるもんだ」と思いながらもけっこう楽しいのだ。非常識を観る人に提示することでアートになるというか。誰でも創れそうだけど、ありきたりだったり、インパクトなかったり・・・それなりの才能がないとギョッとするような製作とはならないのだろう。
この展覧会を観に行くきっかけとなったのは、テレビでやってた「アキレスと亀」を視てほんとに笑ってしまったからだ。これまでも北野監督作品には絵が出てたけど、この映画は絵描きをテーマにしただけに、いろいろ試行錯誤する様を描いて面白かった。役の画商が「なにこれ!こんなの・・・」と酷評されながら飽くことなく夫婦して珍作に取り組む様子は、見せてくれる。 しかし北野監督の映画は、どことなく透明なペーソス感がある。モダンということではない。ゴテゴテした作品でも一寸離れてみると、日本の山とか川とかから感ずる淡白さを感ずる。日本人の感性と言うことかもしれない。あの淀川長治が、北野監督初期の作品を称して「なかなかいいものを持った人です」と言っていたけれど、本人の動機というのも、曰く『映画を撮ろうとしたのも別に転機ってほど大げさなもんじゃなかった。おいらは映画もテレビドラマも一緒だと思っていたからね。ただ、日本映画は甘いな、とは思っていた。もうちょっと感覚が違って、もっとおもしろくできるんじゃないか、とね。そういう感覚は漫才をやってるころからあったんで、いずれチャンスがあれば映画を撮らしてくれないかなと思ってたんだよ。』と。
ビートたけしの絵や映画からは、一期一会的な虚しさみたいなものを感じてしまう。