言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

映画『日日是好日』

2018-10-18 | 映画 音楽
大人になったある日、母親からお茶の稽古を勧められる。主人公は気が進まなかったけれど、従姉妹の強い誘いに抗しきれず稽古に行くことになった。古びた家に在った額に「日日是好日」と書いてあって、「どういう深い意味があるのか」と首をかしげる二人。掛け軸の架かる稽古場で先生は淡々と稽古を進めてゆく。
数百年も年を経たお茶の世界は約束事の連続。戸惑うことばかりに、師匠はさりげなく指導してゆく。「頭で理解するのでなく、体に覚えさせる。稽古は回数。」「何故そうするのかは先生にもわからない。そういうものなのです。」「形から覚えて、心を入れてゆく」「10年も稽古したのですから、そろそろ自分で工夫をしなさい。」とか「左足から部屋に入る」「畳は6歩で歩む」「畳の縁は踏まない」・・・・もう笑ってしまうほどだ。
しかし全くの初心者と長年稽古をしている者とではその所作は明らかに違う。多分、感性の向上とか、事象に対する考え方のようなものへの影響が変わってくるのだろう。それが所作に動作に自然に表れてくるのだろう。自然の移ろい、掛け軸から感じ取れるもの、水音の違いすら分かってくる楽しさ。
映画に出てくるのは女性が大半だけれど、男性にとってお茶はどうなんだろうと、ふと思ったりする。茶道が確立されたのは戦国時代。なんと支配階級に流行した。女々しい精神性で流行したわけではないと思うけど分からない。崇高な精神性を感じてのことよりも、すごく俗物的な背景に流されただけかもしれない。明日をも知れない自分の命に、武道の鍛錬もせず、お茶に埋没するはずがない。それとも男性のお茶には、殺気のようなものを隠すためだったのだろうか。
映画からは、「静けさ」静けさの中で時間が流れてゆく。というか、すごく日本人として体で分かる風景とかお話なのだ。現代に生きる若い女性が遭遇する出来事。自分を見つけられない主人公が、お茶を理解してゆくにつれ、自分をも次第に見つけてゆく。なんとなくわかりやすい映画だった。
お茶の師匠を演じた樹木希林は病で亡くなったけれど、この映画からは微塵も病を感じさせない演技で、違和感もなく良かった。惜しい役者さんだったと思う。主人公・黒木華の父親役は鶴見辰吾だったが、唯一ともいえる男役に、何故か存在感があった。