水田の早苗が風にそよぐ季節。大阪・住吉大社の「御田植(おたうえ)神事」を見てきました。
豊作を祈願して、毎年6月14日に行われている神事です。大社の社伝によれば、約1800年前、神功皇后が大社を造られた後、長門の国(現在の山口県西部)から植女(うえめ)を召して御田(おんだ)を作られたのが始まりとのこと。
全国の田植まつりの中でも特に盛大で華やか。国の重要無形民俗文化財に指定されています。
この日は午後1時から第一本宮前で、神事に携わる人たちが集まり「本殿祭の儀」。早苗が神前に供えられたあと、8人の植女に手渡されました。
そして全員が行列を組んで大社の敷地南側にある御田に移動し、田植えの神事へ。その数、宮司以下約300人。
私はといえば、御田の入場券(1000円)を買って先に入っていたので、「本殿祭の儀」は見られずじまいでした。撮影の場所取りを優先したので…
御田には無料の観覧場所もありますが、有料はテント内の席で、神事の解説や「綿の花」のお守りももらえます。
住吉大社。住吉三神を祭る第一、第二、大三本宮と神功皇后を祭る第四本宮があります。住吉造と呼ばれる古い様式の社殿はいずれも国宝。 |
苗が植えられる「御田(おんだ)」。約2300平方メートルと、かなりの広さ。中央に舞台が設けられ、ここで田植えの間に色々な行事が行われます。 |
神事に先だって、神牛による田植え前の代かきが行われました。
いまではほとんど見られなくなった風景ですね。
神牛は「牛さん」と呼ばれ、観客に大人気。
神事にあたる女性らが到着。黙々と代かきを続ける「牛さん」。
行列が到着すると、全員が御田の周囲を回ります。
奴(やっこ)を先頭に、風流武者、雑兵(子供たち)、楽人、神職、八乙女、稚児、御稔女(みとしろめ)、植女(うえめ)、御神水、替植女(かえうえめ)、奉耕者、田植踊と住吉踊の少女ら…
それぞれの役割は場内放送で紹介されていました。
一番目を引くのは植女の姿。
早苗を手にした植女。
言い伝えによれば、長門の国から来た植女は旧社領の堺・乳守(ちもり=現在の地名にはありません)に定住して代々奉仕。その後、遊女になったとのこと。そして遊女たちが実際に田に入っていた時代から、時がたつと、替植女に苗を渡して、代わりに田に入るのは農家の婦人等になったようです。
明治維新の際、御田植神事は大きな危機に。明治政府が御田を民間に払い下げたことから、御田そのものの存在が危うくなってしまいました。
その時、民有地を買い、御供田として奉納したのが大阪・新町廓(今の大阪西区にあった花街)。以来、植女は新町廓の芸妓が奉仕することになったそうです。
現在は(財)上方文化芸能協会からの奉仕に変わっています。
花笠に付いているのは「綿の花」の造花。雷よけ、魔よけのお守りです。
かわいいお稚児さん。
凛とした巫女姿の八乙女。飾り物は花菖蒲。
御稔女が舞うときにかぶる龍神の冠。
住吉踊に参加する少女たち。みんな楽しそう。
神事が始まりました。
神職によるお祓い(上)のあと、奉耕者の代表・大田主(おおたぬし)が舞台の四方から御神水を田に注ぎます(右)。
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舞台へ上がる植女と替植女。
植女から替植女へ早苗が渡され、替植女は田に下りて植え付けを始めます。
風流花笠を中心に舞う八乙女の「田舞」。ゆるやかな中にも厳粛さを感じさせ、8人の動きがぴったりそろっています。
舞の間にも植え付けが次々に進みます。
龍神の冠をかぶり、豊穣を祈願して舞う御稔女(みとしろめ)。
植え付けには男性の奉耕者も加わって。
赤いたすきが早苗田に映えます。美しい日本の原風景。
風流武者行事。侍大将の、武運長久を祈る勇ましい所作。
広い御田が早苗でだいぶ埋まってきました。
田のまわりで、ホラ貝の音が響き渡るなか、紅白に分かれた雑兵役の子供たちが棒を打ち鳴らす「棒打合戦」を展開。
次いで少女らの田植踊、住吉踊と続き、2時間にわたる多彩な行事が終わるころ、ちょうど植え付けも終了していました。
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撮影カメラ・レンズ
Canon EOS KissX4
TAMRON AF 28-300mm 3.5-6.3 XR Di VC LD Aspherical[IF]Macro
撮影データ
絞り優先AE (F8 建物・風景)
シャッター速度優先AE (1/125~1/400秒 行事)
ISO感度 100~200
露出補正 +1/3~+1
画質 RAW
ホワイトバランス オート
ピクチャースタイル スタンダード
画像処理 Digital Photo Professionalで明暗、色濃度など調整
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