万葉集には額田王 (ぬかたのおおきみ)の思いが込められた歌が記されている
三輪山を しかも隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや
(みわやまを しかもかくすか くもだにも
こころあらなも かくさふべしや)
額田王 巻1 18
・・・ 訳 ・・・
三輪山をどうして雲があんなに隠すのか。
せめて雲だけでもやさしい情があってほしい。あんなに隠すべきであろうか。
この歌は天智天皇が明日香から
近江に遷都を敢行した時の歌と言われている。
大和を離れ、近江に向かうとき
額田王が
名残惜しい思いを込めて
この歌を詠んだ
三輪山を眺めていると額田王の気持ちが良く分かる
三輪山には人の心に訴える
優しくて、強力な パワーがある
それ故、縄文時代から
いつの時代にも
人の心を引き付けた
神の山と崇められ
崇拝され続けた
この山に対する畏敬の念は
現代人にもそのまま受け継がれ
現代も変わることなく崇拝され続けている
こういうのを
・原始宗教・ ・自然崇拝・
と言うのだろう・・
仏教やキリスト教
といった教義をもつ宗教とは違い
自然崇拝は教義をもたない
経典もない
人間が本能的にもつ自然に対する敬意の念が
‘自然物を通して 神 を崇める ‘
と言う宗教観を作り出したのだろうと思う
教義をもつ宗教は確かに必要であると思う
でも・・・・
その前提として 原始宗教 は重要な気がする
人間のもつ原始的な本能的な
自然に対する畏敬の念
人間のもつ本能的な 信仰心
理屈を抜きにした神に対する畏敬の念
ここが重要だと思う
しかし・・・残念ながら・・・・
これを忘れてしまった宗教家もいる
この宗教指導者は
お釈迦様が言われた
・・・山川草木国土悉皆成仏・・・
の言葉を 「環境破壊するな」
という意味に解釈しているらしい
環境保護 これも確かに大切な事だと思いますが
仏教の教義を無理やりこれに当てはめているとしか感じられません
本質を見失ってはしませんか?
と思えてしまう
この宗教指導者の根底は
「理屈のみに極端に傾いた唯物論に近い概念」
と思えてならりません
悲しいことです・・・・・