名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

占いの限界

2013-04-03 | 姓名判断
姓名判断とは 人の姓名の画数でその人のもつ特性をを判断する

人の性格や個性 ・ 志向 ・ 家庭環境 ・ 対人関係などを推測する占いである

あくまで占いは 占い 、科学的な根拠はない


統計的手法で真偽を正そうと思っても簡単には答えが出ない

確かに姓名判断上、明らかに悪い名前の人は

微弱な範囲ではあるが不運や障害に遭遇する確率は高い

だけど、人間誰でも一生のうちで一度や二度は必ず悪い事が起きる

名前が完璧なら その人は一生涯幸せな日々が続くのか?

悪い事や不本意な事は何一つ起きないのか?

そんなハズはない

人間誰しも必ず失敗はあるし、不運な時期がある失敗やピンチを教訓にして

それを如何チャンスに変える事ができるかどうかが重要な事であり、

失敗しない事が必ずしも 最善 とは思えない

もし、失敗しない事だけを人生の目標にしたなら

「 何もしない 」 に限る

そんな人が幸運な人になれるのだろうか?



三千人近くの姓名を分析しているうちに、

名前に良い悪いがあることは 何となくではあるが分かってきた

でも、大きな矛盾も感じる仮に同姓同名の人間がいたとする

この2人の人間は住む環境も、生い立ちも、仕事もまったく違う

もし、姓名判断のみでこの両者の特長や性格、運の強弱を判断したなら

両者とも まったく同じ答えがでてしまう


この両者は果たして瓜二つな人間なのだろうか?

似たような運命をたどるのだろうか?

そんなハズはない


仮にこの両者が 「 基本的に同じ傾向の運勢 」があったにせよ

まったく別々の 個性的な人生を歩むはず

ならばその「 基本的に同じ傾向の運勢 」 の意味するところは

あまりに漠然としていて具体性がない



即ち、それは、たった 5つのパターンで性格を占う血液型占いと同列となってしなう

血液型判断が当たる理由は簡単である

どの答えを当てはめても ハズレ にならない答えが用意されているだけの事

人間誰しも 頑固なところを持っている

人間誰しも いい加減な所がある

人間誰しも 几帳面な所がある


それは誰にも当てはまる事だから

そのうち1つをモットもらしく指摘されれば

あたってる!!!  と言う事になる


姓名の画数のみで その人固有の運勢や特性が分かるはずがない

ならば、姓名判断はまったく意味がないのか?

ここからが神秘の世界

私が身に付けた ‘ 姓名判断術 ‘ は直感的な手法であり

非科学的で 理屈では説明できない世界のお話となってしまう

科学的であろうとなかろうとそれが、人のためになればそれでよい

そういう思いで、この技を使う決意をした

続く

コメント
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