♪ 運が良いとか 悪いとか そうゆうとって
確かにあると あなたを見てて そう思う ♪
さだまさし さん の歌にこんな歌がありました
この歌
たぶんフォークソングだとは思いますが
フォークソングではないような気もします
ドンヨリとした暗い歌です
演歌でも 浪花節でもない冷たくて 暗く、陰険な雰囲気は
どうにも好きになれません
この歌を歌っている人も、あまり好きではありません
でも、言っている事は確かにそのとうり・・・・・
何をやってもうまく行かず不幸の連続、
健康問題、 家庭問題、 親子問題、 金銭問題、
夫婦問題 不慮の事故 天災 ・・・・・
本人の努力や人格とは全く関係なく
これでもか! これでもか! と言わんばかりに不運や不幸が押し寄せてくる
幸運、不運 は そのひとの人格に対して
決定的な因果関係はないと感じます
「 あんな 真面目で、心優して、誠実な人が どうしてなんだろう・・・・」
こういう言葉は誰しも耳にする言葉ではないでしょうか
「 運命は、自分の 心 が決定付ける 」
確かにそのとうりだとは思います
心のあり方次第で運命は良くも悪くも左右されます
でも・・・・・
それだけではすべを説明し切れません
私は今までその多くの例外を見てきました
神仏を拝めば不運や災難から逃れる事ができるのか?
残念ながら、これも決定的な因果関係は見受けられない
私は今まで、多くの現実を見てきました
信仰深く、真面目で心優しい人こういう人がなぜか 不運の嵐
神 は実在することは確かです
神 はすべての人間に対して平等です
拝んでくれた人は助け 拝んでくれない人は 助けない
全知全能の神がそんな事をするでしょうか?
そんな肝っ玉が小さい存在 であるはずがありません・・・・
一個人の範疇で 「 人の運命 」 を検証するなら
人間の運命を決定付ける最大の要素はなんであるか?
私は若いときから常にこのことを考え、研究し続けて来ました
今現在の私の結論
1 霊統 (祖先との霊的なつながり)
2 因縁 (祖先から受け継ぐエネルギー)
3 血統 (肉体の遺伝的要素)
この三要素が人の一生を左右し決定付ける 最大要素
この3要素を説明するには膨大な時間を必要とします
まずは 1 霊統 2 因縁
この2つを を絡めて説明させて頂きます
「 自分 」と言う一見独立した存在であるかの如く見える「 霊魂 」 は
実は先祖の魂 と表裏一体となっています。
例えていえば・・・・・
ある不愉快な事がおきて無性に腹が立った。
物凄く悲しいことがあり、胸が張り裂けそうになった。
こういう場合、胃が痛くなったり食欲が無くなったりします。
これは 想い ( 念・魂 )= 魂 は自分の肉体のなかで 形となって現れのです。
自分の 想い ( 魂 ) は決して自分の肉体を痛めつけてやろう
などと考えているわけではありません。
ただ、 表裏一体 であるだけです
別の例えをするなら、
親と自分の関わり・・・これは 「 自分の 想い と 自分の肉体 」
との関係と全く同じ事だと思います。
子供が苦しめば 親も苦しむ、親が苦しめば 子供も苦しむ。
これも、表裏一体
それを、もっと拡大して突き詰めて考えるに
先祖の 念 が子孫に影響を及ぼす
自分の境遇、 自分の心境、 自分の方向性、 自分の嗜好、その他ありとあらゆる
「 自分の個性 」のなかには 自分でない 背景が横たわっている
これこそが人間の運命を決定する
最大の要素
その 「最大の要素」 がその、要素の表面の一部として
姓名に現れる (微弱なシグナルではあるが)
その要素 と波長が合う名前を呼び寄せる
これは、画数云々 と言う事以前の問題で 姓名の 雰囲気 に現れるような気がします。
姓名は 自分という 複雑で巨大なな実体の表面の一部であると考えます
これはあくまで 「 表面の一部 」
であり 人間そのものの本質 ではありません
でも、姓名にはその人固有の雰囲気 があります
「 雰囲気 」 などといった曖昧な主観的な言葉は全く理論性や合理性がありません。
理論性や 合理性 が無い事を主張して 、もし、仮にそれが当たっていたとしても、
これは 「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 といえます。
私はいままで多くの人の 性質や 背景 を 姓名 を見ただけで言い当ててきました。
その性質をどのように生かしてゆけばよいかのアドバイスも多くしてきました
理屈で考えれば これは、 「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 です。
しかしながら・・・・
「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 も、連発すればあながち 否定もできない。
これは、私の私自身に対する 評価 です。
それが結果的に 人の幸福につながるなら無意味ではない
実際に私はこのことで多くの実績をあげてきました
祖先の霊魂の 「 想い 」 「 心境 」 が子孫に現れる。
と前に述べましたが、
祖先やお亡くなりになった両親は 「 過去 」 です。
魂や霊魂の世界(あの世)には時間も空間もありません。
即ち 「 過去が現在 」
でも、肉体を持っていま現に 生きている 人間にとっては
過去を操作することは不可能です。
‘今 ‘があるのみ です
同時に ‘ 未来 ‘ に対する 責任 があります。
ここで言う ‘ 未来 ‘ とは
「 自分が死んだら成仏する責任 」です。
前に述べました、「先祖の苦しみが子孫に現れる 」
これを 自分 という立場でどうとらえるか?
自分が死んだあと 自分と 霊統 でつながっている 血縁者 に 対して
自分の霊魂 が影響を及ぼす。
そういう意味で 「 自分が成仏する責任 」 がある。
自分が成仏すれ自分と霊統でつながる すべての子孫にたいして
大きな幸福をもたらす事ができる。
ここで重要なのは
‘ 魂の世界‘ や ‘あの世‘ には時間がない。
過去も 未来も 無い
即ち、先祖から受け継ぐ 因縁 も中和できるということです。
自分が成仏する ?
意味がわからない・・・・・
これは私が思いついた言葉です
自分が成仏するとは
自分が幸せになる義務 を意味します
「 人間は幸せになる権利がある 」
この言葉は間違っています
‘ 権利 ‘ などと言ったアヤフヤなものではありません
幸せになることは
人間に与えられた 義務 です
自分が幸せになる事が 最大の先祖供養です
同時に、子孫や 霊統 で繋がるすべての親族に大きな幸福をもたらすことになるのです。
自分の事などどうでも良いとか、来世があるさ、
一見、悟りの境地のように思えますが、私が思うにこれは 義務の 放棄です
憎み、 恨み、 嫉妬、 未練、 怒り、 悲しみ、 心配、 後悔
などあらゆる悪想念を 抱えて死んで行ってはいけない
もし、今生でこれが出来ない場合、マイナス要素を自分が死んだ後も引きずることになります
これは、自分だけの問題ではありません
自分という魂が 過去と未来に対して大きな影響を与える事になるからです
自分の人生 自分のあり方 自分の行い 自分の想念 ・・・・
これらは 最終的に自分と 霊等 因縁 血統 で繋がるすべての人に
大きな影響を及ぼす事となります
「 死後の自分 」に対しても責任を待たねばならないと思います。
続く
確かにあると あなたを見てて そう思う ♪
さだまさし さん の歌にこんな歌がありました
この歌
たぶんフォークソングだとは思いますが
フォークソングではないような気もします
ドンヨリとした暗い歌です
演歌でも 浪花節でもない冷たくて 暗く、陰険な雰囲気は
どうにも好きになれません
この歌を歌っている人も、あまり好きではありません
でも、言っている事は確かにそのとうり・・・・・
何をやってもうまく行かず不幸の連続、
健康問題、 家庭問題、 親子問題、 金銭問題、
夫婦問題 不慮の事故 天災 ・・・・・
本人の努力や人格とは全く関係なく
これでもか! これでもか! と言わんばかりに不運や不幸が押し寄せてくる
幸運、不運 は そのひとの人格に対して
決定的な因果関係はないと感じます
「 あんな 真面目で、心優して、誠実な人が どうしてなんだろう・・・・」
こういう言葉は誰しも耳にする言葉ではないでしょうか
「 運命は、自分の 心 が決定付ける 」
確かにそのとうりだとは思います
心のあり方次第で運命は良くも悪くも左右されます
でも・・・・・
それだけではすべを説明し切れません
私は今までその多くの例外を見てきました
神仏を拝めば不運や災難から逃れる事ができるのか?
残念ながら、これも決定的な因果関係は見受けられない
私は今まで、多くの現実を見てきました
信仰深く、真面目で心優しい人こういう人がなぜか 不運の嵐
神 は実在することは確かです
神 はすべての人間に対して平等です
拝んでくれた人は助け 拝んでくれない人は 助けない
全知全能の神がそんな事をするでしょうか?
そんな肝っ玉が小さい存在 であるはずがありません・・・・
一個人の範疇で 「 人の運命 」 を検証するなら
人間の運命を決定付ける最大の要素はなんであるか?
私は若いときから常にこのことを考え、研究し続けて来ました
今現在の私の結論
1 霊統 (祖先との霊的なつながり)
2 因縁 (祖先から受け継ぐエネルギー)
3 血統 (肉体の遺伝的要素)
この三要素が人の一生を左右し決定付ける 最大要素
この3要素を説明するには膨大な時間を必要とします
まずは 1 霊統 2 因縁
この2つを を絡めて説明させて頂きます
「 自分 」と言う一見独立した存在であるかの如く見える「 霊魂 」 は
実は先祖の魂 と表裏一体となっています。
例えていえば・・・・・
ある不愉快な事がおきて無性に腹が立った。
物凄く悲しいことがあり、胸が張り裂けそうになった。
こういう場合、胃が痛くなったり食欲が無くなったりします。
これは 想い ( 念・魂 )= 魂 は自分の肉体のなかで 形となって現れのです。
自分の 想い ( 魂 ) は決して自分の肉体を痛めつけてやろう
などと考えているわけではありません。
ただ、 表裏一体 であるだけです
別の例えをするなら、
親と自分の関わり・・・これは 「 自分の 想い と 自分の肉体 」
との関係と全く同じ事だと思います。
子供が苦しめば 親も苦しむ、親が苦しめば 子供も苦しむ。
これも、表裏一体
それを、もっと拡大して突き詰めて考えるに
先祖の 念 が子孫に影響を及ぼす
自分の境遇、 自分の心境、 自分の方向性、 自分の嗜好、その他ありとあらゆる
「 自分の個性 」のなかには 自分でない 背景が横たわっている
これこそが人間の運命を決定する
最大の要素
その 「最大の要素」 がその、要素の表面の一部として
姓名に現れる (微弱なシグナルではあるが)
その要素 と波長が合う名前を呼び寄せる
これは、画数云々 と言う事以前の問題で 姓名の 雰囲気 に現れるような気がします。
姓名は 自分という 複雑で巨大なな実体の表面の一部であると考えます
これはあくまで 「 表面の一部 」
であり 人間そのものの本質 ではありません
でも、姓名にはその人固有の雰囲気 があります
「 雰囲気 」 などといった曖昧な主観的な言葉は全く理論性や合理性がありません。
理論性や 合理性 が無い事を主張して 、もし、仮にそれが当たっていたとしても、
これは 「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 といえます。
私はいままで多くの人の 性質や 背景 を 姓名 を見ただけで言い当ててきました。
その性質をどのように生かしてゆけばよいかのアドバイスも多くしてきました
理屈で考えれば これは、 「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 です。
しかしながら・・・・
「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 も、連発すればあながち 否定もできない。
これは、私の私自身に対する 評価 です。
それが結果的に 人の幸福につながるなら無意味ではない
実際に私はこのことで多くの実績をあげてきました
祖先の霊魂の 「 想い 」 「 心境 」 が子孫に現れる。
と前に述べましたが、
祖先やお亡くなりになった両親は 「 過去 」 です。
魂や霊魂の世界(あの世)には時間も空間もありません。
即ち 「 過去が現在 」
でも、肉体を持っていま現に 生きている 人間にとっては
過去を操作することは不可能です。
‘今 ‘があるのみ です
同時に ‘ 未来 ‘ に対する 責任 があります。
ここで言う ‘ 未来 ‘ とは
「 自分が死んだら成仏する責任 」です。
前に述べました、「先祖の苦しみが子孫に現れる 」
これを 自分 という立場でどうとらえるか?
自分が死んだあと 自分と 霊統 でつながっている 血縁者 に 対して
自分の霊魂 が影響を及ぼす。
そういう意味で 「 自分が成仏する責任 」 がある。
自分が成仏すれ自分と霊統でつながる すべての子孫にたいして
大きな幸福をもたらす事ができる。
ここで重要なのは
‘ 魂の世界‘ や ‘あの世‘ には時間がない。
過去も 未来も 無い
即ち、先祖から受け継ぐ 因縁 も中和できるということです。
自分が成仏する ?
意味がわからない・・・・・
これは私が思いついた言葉です
自分が成仏するとは
自分が幸せになる義務 を意味します
「 人間は幸せになる権利がある 」
この言葉は間違っています
‘ 権利 ‘ などと言ったアヤフヤなものではありません
幸せになることは
人間に与えられた 義務 です
自分が幸せになる事が 最大の先祖供養です
同時に、子孫や 霊統 で繋がるすべての親族に大きな幸福をもたらすことになるのです。
自分の事などどうでも良いとか、来世があるさ、
一見、悟りの境地のように思えますが、私が思うにこれは 義務の 放棄です
憎み、 恨み、 嫉妬、 未練、 怒り、 悲しみ、 心配、 後悔
などあらゆる悪想念を 抱えて死んで行ってはいけない
もし、今生でこれが出来ない場合、マイナス要素を自分が死んだ後も引きずることになります
これは、自分だけの問題ではありません
自分という魂が 過去と未来に対して大きな影響を与える事になるからです
自分の人生 自分のあり方 自分の行い 自分の想念 ・・・・
これらは 最終的に自分と 霊等 因縁 血統 で繋がるすべての人に
大きな影響を及ぼす事となります
「 死後の自分 」に対しても責任を待たねばならないと思います。
続く
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