
現生不退
( げんしょう・ふたい )
この言葉こそ、
親鸞聖人の説いた教義の極致であると思っています。
現生・・・・・死んだ後ではない、生きている時、
不退・・・・ 「 絶対に退いてはいけない。」
現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)の略・・
・・・・訳・・・・
死んでから完成するものなど無い。
生きているうちに完成させなさい。

親鸞がここで言いたかったことを、
私の言葉に変えさせて頂くなら、
「 制限時間あり、一本勝負 」
「 制限時間 」とは・・・
生まれてから死ぬまでの期間。
「 一本勝負」 とは・・・
「 必ず決着をつけなさい 」という意味。
死後に浄土に行って悟りを開く訳ではない。
前世や来世を意識するまでも無い。
死後に想いを寄せても何も得られない。
ましてや、過去など既に完結したことである。
生きているあいだに、
自分の内に宿る、仏を信じ、
‘今現在‘に、全精力を注ぎ、
現実のなかで切磋琢磨することこそ、
成仏する為の唯一の手段。
親鸞の言いたかったことは、
こういう事ではかかろうか・・・
私が思うに・・・
今生は、過去(前世?)の清算ではない。
死後( 霊界 )への待合室でもない。
ましてや、遠い未来( 来世 )の準備期間でもない。
今生こそ、すべて、
いつか必ず死が訪れる。
そのあと、霊界に行く。
人間が死ぬ時、問われる事は、
その人が、
「 何を持ったか 」ではない。
‘あの世‘ の価値基準は


そして、
そこから

この、
何を思ったか?・・ ・何をしてきたのか?
・・・そな中から何を得たか?
の3つの要素が、死ぬ瞬間に、確定される。
それは、何人たりとも誤魔化す事はできない。
絶対的な「 公平 ・ 平等 」
人間に与えらた最大の平等とは、
「 死を前にしての平等 」
この平等により確定された ‘ 事実‘は、
霊界に行ってしまってからでは、
変えるはできない。
‘ あの世 ‘では修正不能。
努力する事も、克服する事もできない。
悪い要素を修正したり・・・
良い要素を更に生かしたり・・・
これらは、生きている間のみ有効な、
「 特権 」なのである。
生きている時の「 体験 」とは、
必ずしもイイ事ばかりではない、
いや、
苦しみのほうが多いのかも知れない。
だが、この体験こそが、
死んでから成仏する為の必須課題なのである。
もちろん、人間は、
死んでから成仏する為に生きている訳ではない。
生きている時の心の状態 = 死んでから状態
であるから、
どちらも、対等という意味です。
迫り来る運命の波に、どのように向き合い、
そのように対処したのか?
そして、そのなかから、「 何を見つけたか?」
これこそが、課題である。


ひとには、それぞれの課題がある、乗り越えるべき試練がある。
これは、「生きている」ときしか解決することができない。
死んだあと、自分の霊魂は固定した状態になってしまう。
そして、自分が、死んだ時の意識の
状態がそのまま、子孫や、血縁者に反映する。
自分が成仏することは、
後に続く、自分の一族に対しての最大の誠意なのです。
・・・・・・
肉体を持っているあいだは、「 体験 」ができる。
今生こそ、逃してはならないビックチャンスなのだ。
霊界に行ってからは体験は出来ない。
肉体を失ってしまうと、霊魂は
そのレベルに見合ったそれ相応の環境に吸い寄せられる。
苦悩・苦難・病苦・経済苦・
これらの障害物は、
霊魂運用マシーン ( 肉体 )
に乗って、「 神を観る 」為の燃料なのである。
死後の自分にも責任を持つ事こそ、
霊魂は、永遠滅である事に対する肯定なのだ。
あの世に行ったあと、自分が笑えば、自分の子孫が笑う。
自分の子孫が笑えば、自分も更に嬉しくなる・・・
これこそが、「 幸福の原理 」
私は思う・・・
今の生命を全身全力で、極限まで、力の限り、
「 生きる 」「 生かす 」「 生き通す 」「 大切にする 」
「 いのちの尊厳を守る 」
これこそが人間の使命であり、
これが出来た時、初めて、「 自己の内に宿る神・仏 」を
感じる事が出来る。
すべての人間は、
阿弥陀如来の分身であり、
天照大神の分身なのである。
その自覚が成立した時、
「 勝負あり!!! 」なのだ、

親鸞は、何ゆえ輪廻転生を語らなかったか???
親鸞様が囁いているような気がします・・・
「 前世・来世を行動の拠り所にしたり、
過去や未来を、価値観の基準にしていては、照準が狂う。
タイムリミット( 死 )は刻々と迫っている。
時間は限定されている。
そんな事考える以前に、
動け!! 進め!!! 明るく悩め!!!
考えろ!! 体験せよ!!! 無駄な事など何も無い!!! 」

得よう、得よう、と力めば力む程、
鎧兜が身を締め付ける。
執着は自らを焼き尽くし、
あの世に行ってもリピートする。
何より肝心なことは、
自分の内に宿る神と出会う事。
人間は仏の分身。
神の分霊。
これを知ることが全てを知ることである。
この自覚なくして、真実を見ることは不可能。
この自覚こそが、
必要な事物を、望まずしても引き寄せる。
如何なる分野も、如何なる宗教も、
目指すところは唯一つ、
「 生命の尊厳 」の自覚に他ならず。
勝たねばならぬ・・・・・