名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

ウソでもない、真実でもない。

2017-01-09 | 宗教


人間の運命を決定する要因は複雑怪奇であり、
ひとつの要素をもって断定することは不可能です。

それ故、占い師の言う事や、特殊能力者の予見は外れる事が多い。

ならば・・・人間の運命を支配する最大の要素はなにか?

1・・・家系に於ける、先祖からの遺伝的連鎖。

2・・・先祖からの霊的な影響。


これこそが運命や、その人の人格を決定つける最大の要素です。

この影響は、大まかに言って、2つに分類できます。

1・・・知能、才能、身体的特性、性格、などの、
遺伝子による、肉体的な遺伝、( 脳内情報も含む )

これは、科学的な説明のできる領域です。

2・・・  肉体的要素(遺伝)では説明の出来ない特性。

ある人が火災で焼死したとすします。
不思議な事に、その人の親も、その親も、更に、その先祖も、焼死していた・・・

こんな話はざらにあります。
これは、肉体的遺伝では説明出来ない事です。

本人の努力や考え方とは、まったく無関係に、不可抗力で起きる事象、
無意識のうちに決定してしまう、自分の方向性。

これは、良い事も、悪い事も含めて、その人の人格や、行動、運命を
大きく支配しています。

この部分が、「 魂レベル 」 「 霊的連鎖 」連鎖。


輪廻転生・・・前世云々・・・

という考え方もあります。
輪廻転生は、仏教の考え方であり、
突き詰めれば奥深い意味があります。

しかしながら、巷に云う、「 生まれかわり云々 」
は、方便( 例え話 )の世界のお話しとして、
軽やかに受け止めるべきである思う。

すべての人間は、人間である以上、納得のゆかないことに答えを求める。
人間の脳は、全ての事柄に説明を求めて来る。

脳は、納得出来ない事に対して、否定的になる。
それ故、全ての事柄に、説明を求める。

残念ながら・・

説明を求めれば求めるほど、空しい世界に引きずり込まれる。

その、最たるものが、「 生まれかわり 」
この概念を持ってくれば、
この世に起きる個人レベルでの「 不公平 」
を納得させる事ができる。

私は、決して、「 生まれかわり 」を否定している訳ではありません。

たぶん、それらしきことはあるような気がします、

「 あるかも知れない、ないかも知れない 」

これが私の輪廻転生に対する認識です。

以前、浄土真宗の偉い坊さんに尋ねたことがあります。

「 輪廻転生・生まれ変わり・・はありますか? 」

高僧は自信ありげに答えました、
 
 「 あるかも知れない、無いかも知れない 」

功徳(善行)を積んで前世の悪業を相殺する・・・

功徳を積んで、悪業を相殺する・・・

功徳を積んで、来世は良い人生を歩む・・・・

立派な考え方であるとは思いますが、
この考え方こそがが「 終着点・頂点 」信じるていると、
いつか行き詰まる。

これは「 入口 」であり、 「 頂点 」とは思えない。

この考え方が究極の真理  なら、今生は、「 天国への待合室 」
「 死の準備 」 「 過去の清算所 」 となってしまう。

そういう私も、若い頃の私は、功徳を積もうといつも考えて行動していました。

でも、今は、「 功徳を積もう 」 などと一切考えておりません。
「 天に宝を蓄えよう 」などとも思いません。

この思いがもし、間違いなら、
地獄に落ちても異論はありません。

閻魔様に 「 お会いできて光栄です 」と申し上げようと思っている。

だだ、人のお役に立てれば ウレシイ
人を幸福に出来たら ウレシイ

人に幸福を与えるとは 単なる 「 行為 」 てあって、
それに理屈を付け始めた瞬間、「 傲慢 」という烙印が押される。

「 生きてるだけで丸儲け 」と思い、

「 無条件感謝 」

これこそが
神から生命を頂いき、親から肉体を頂き、育てて頂いた者の
 義務 だと思っております。

このことにより、
自分が幸福になる事こそが、他者に連鎖し、幸福をもたらす。

これこそ仏教で言う 「 無尽蔵 」

神は全ての人間に愛を注いでいます。
仏は、全ての比丘阿比丘たちに、慈悲の光を照らしています。

宗教団体は、
人間知では言葉に出来ない膨大な要素を、抽象化して、そのあと
輪郭をつける。

答えのないモノに、 答えを出し、断定する。
そして、それを信じるフリをする人間を養成する。

これらの教義は、ウソでもない、真実でもない。

罪は無い  無明は無い  悪因縁は無い 生も死も無い
あらゆる不幸、不調和、不完全は本来無い 

これこそが釈迦の悟った本義であると思う。

釈迦ほど明確な意図はなかったが、
キリストの言いたかった事も此処にあると思う。

これを音ににすると、

「 南無阿弥陀仏 」
「 アーメン 」

真に実在するものは、
神のみ、仏の慈悲のみ、生命のみ、 
光のみ、光明のみ。

神と自分をつなぐのは 親であり、先祖である。
それ故、親と、先祖に感謝できないものは、
神を見ることができない。
仏の慈悲を知ることはできない。
コメント
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