名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

許されているのは自分です。

2017-01-13 | 宗教

宗教関係の本を読んでいると
「 人を裁いてはいけません。‘ 許しの心 ‘ を持ちなさい 」
と言うようなお話がでてきます。

こういう教えは確かに尊い教えであると思います。

しかしながら・・・生半可に宗教をかじって、
「 自分は偉い人間だ 」
「 自分は徳を積んでいる 」
などと思っている人が、
この言葉を浅はかな捉え方で吸収し
「 悟った 」などと勘違いすると、

大きな落とし穴にはまるような気がします

私は20代の頃  本業とは別に、小遣い稼ぎの為に、
レストランで深夜アルバイトをしていた時期がありました。

そのレストランに、
Tさんという50代の男性がいました。

Tさん本職は 洋服の仕立て職人。 

近年、洋服をオーダーメイドする人が激減して、
本業だけでは生活できる収入を確保できない。

やむを得ず、週3~4回、8時間、パート社員として、
このレストランで働いていました。

Tさんの仕事は主に 仕込み でした。

店に出たり、厨房で料理を作ったり といったことは
一切できません。

野菜を切ったり、米を研いだり、皿を洗ったり・・・
裏方の仕事のみを毎日黙々とこなしてゆく、
そういった仕事を任されていました。

このTさん、真面目で大人しく、
気が優しく、真面目で、温厚な人柄。

悪い人ではないけれど、周りの評判は物凄く悪い。

何故かというと、 

Tさん 常に マイペース。

ピークの時間 他の人達は必死になって走り回っているときも
自分だけは常に涼しい顔をしている。

人手が足りないとき、他の人達は、自分の担当以外
の仕事でも無理をしてでも助け合う。

もちろん、Tさんの仕事が回らない時は、
誰かが助けに入るのだが、

Tさんは、どんな状況であろうとも、自分の仕事さえ切りがつけば、
あとは、さも仕事をしているようなフリをして時間を潰す。

他の従業員はこういうTさんの態度に相当イラついている。

しかしながら、

従業員のなかで、
Tさんが最年長であったこともあり、

Tさんをバカにしたり、
感情的に苦情を言ったりと云うような、
態度をする者は、誰もいませんでした。

そういった意味でこのレストランの従業員はみな紳士的な
人ばかりでした。

「 あれでも、Tさんは Tさんなりに精一杯やっているのだろう 」

そう言って、Tさんの態度をかなりの部分で黙認していました。

それでも、ごくごく稀な事ではありますが、
忙しいとき 誰かが Tさんの態度に腹を据えかねて

強い口調で 

「 Tさん! 少しは周りの状況を考えてください!!!! 」

「 Tさん、早くやってください!!! 」

などと言ったりすることがありました。

こういうとき私は Tさんをフォローしようと思い
Tさんのそばにそっと近づくと、

Tさんが必ず言う言葉

「 ああいう人はどこにでもいるけど、
私は憎んだり怨んだりしませんよ
‘ 許す ‘ という気持ちが大切だからねー 」

  許す??????? 

この言葉、あなたが使うべき言葉なの?

口まで出掛かるけどいつも我慢しました。

いつも許されているのはTさんであって、
他の従業員ではありません。

要するに、Tさん 自分の立場 自分の状況 自分の能力  
がまるで分かっていない。

Tさんの「 許す 」 という言葉の裏には

傲慢さがあるのではないでしょうか・・・

じつは許されているのは Tさん であり
許されている Tさんが人を 「 許してやる 」
 などと思うのは全くオカシナ話であると思います。


Tさんは極端な例ですが・・・

Tさんと同じカラクリで、
 
何の恥じらいも無く、優越感に浸り、得意満面になって、
‘ 許す という傲慢 ‘ を
犯している人を時々見かけます。

こういう人は 、何らかの宗教を信じていることが多いと感じます。
これが 「 宗教の落とし穴 」であるといつも感じます。

わたしは常々 ‘ 人を許す ‘ と言う言葉に対して

大きな警戒感を抱いています。

この言葉を軽々しく発する人を見ると何かの違和感を感じます。

特に、宗教病に感染した、
「自称・徳を積むひと 」は危なっかしく感じます。

そういう、自分も知らず知らずのうちに、
この落とし穴に足を突っ込んでいるかもしれません。

誰かに対して腹が立った瞬間、
許してあげよう と思った瞬間、

「 許されているのは、実は自分ではないだろうか? 」
「 傲慢になって、謙虚さを忘れていないだろうか? 」
「 許すという言葉を使える程、自分は立派な人間なんだろうか? 」

常に こう自問自答する必要があると思っています。

突き詰めて考えれば、
自分こそが多くの人から許されて生きている。

コメント
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