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私の父親、は大腸癌で亡くなった
66歳の若さであった
あれから16年の歳月が流れた。
私の父親は13歳のとき、父親をチフスで亡くしている
それ以来、4人兄弟の長男として勉強など一切せず
ガムシャラになって働き一家を支え、
最終的には程々の財産を築いた。
父親の母親はのん気でお気楽な気質、
あまり働かない
父は13歳にして実質的には、
一家の大黒柱とならざるを得なかった。
そんな人生を歩んできたが故
父は物凄く金に細かく、ケチであった
幼い頃、父親に玩具など一度も買ってもらって事はない。
何か買ってと言うと物凄い形相で睨み付けられた。
父と母はいつも ‘金‘の事で喧嘩していた。
父は私の話には一切、耳を傾けず
何を言っても うるさい!!
と怒鳴った
私は、物心ついた頃から、
父親を冷たい視線で見るようになっていた。
父の ‘ ケチ ‘ な気質と
ひとりよがりな所が大キライであった。
勿論、尊敬する部分もあったが
腹の立つことの方が多かった。
いつしか、あんな人間にはなりたくない・・・・
と思うようになっていた
父を亡くして16年の歳月がながれ
私は、いま 2児の父親になっている。
今になって思う・・・・・・
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私の目から観た 父親の長所、短所、は
私に科せられた課題である。
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私と父親は親子と言えども別人格
私は親のコピーではない。
しかしながら、 ‘ 私 ‘ と言う人間の根底には
親から遺伝的に受け継いだ
‘ ある方向性 ‘
というものが存在する。
‘ ある方向性 ‘ とは短気だとか、
神経質だとか、真面目だとか、
と言った具体的な性質ではなく
精神や魂の根底の部分。
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例えて言えば
コンピューターの
「 フォーマット 」
ハードデスクやメモリー
に文字や数字を記憶させるとき
ハードデスクやメモリーはそれを
受け入れる為の ‘下地‘ を必要とする。
もともと、ハードデスクやメモリーは
空っぽの状態であるが、
そこに、下地を覚えさせてやらないと、
データーを書き込む事はできない
その下地の事をフォーマットという。
フォーマットはデーターそのものではないが
データーを受け入れる基盤。
下地はイロイロな種類がある。
Aのフォーマットで書かれた文字やデーターは、
Aのフォーマットの媒体にしか
読み取る事が出来ない。
Aのフォーマットで作られたデーターは、
Bのフォーマットに読み取らせる事は不可能。
私の持つ人格や考え方と
父親の持つ人格や考え方は
まったく別物ではあるけど、
そのデーターが乗っかっている。
土台 (フォーマット)はまったく
同じものであると思う。
父親もフォーマットを、その両親から受け継いでいる。
血統とはそういうものではなかろうか。
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昭和初期、出口仁王三郎 という宗教家がいた
このお方、幼い頃から神通力があり
神童と言われていた。
回りから 「八つ耳」
(直感力や理解力に優れた人間という意味)
と呼ばれる程であった。
後に、宗教団体を創設し、カリスマ的教祖となった。
最近知った事だが、
出口仁王三郎の孫Wさん、
ある有名進学塾の講師をしているらしい。
このお孫さん、進学塾講師の世界では、
‘ カリスマ講師 ‘ と呼ばれているらしい。
仁王三郎さんの作った宗教とは無縁で、
あくまでも講師という土俵で活躍しているのだが、
その世界で仁王三郎さんと同じように
‘ カリスマ ‘
になっている。
やはり、出口家の血統のなかには
カリスマを輩出するフォーマットがあるのだろう。
Wさんの子供もそれを受け継ぎ
また別の世界で‘カリスマ‘となるだろう・・・・
よくよく、調べてみると
この手の話はいくらでもある。
私の目に映る親の姿は、
客観的に見ているつもりでも
限りなく主観的であり客観的ではない。
実は、自分の意識を通して親を見ている
自分の意識 = 自分の根底( フォーマット )= 親の根底( フォーマット )
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即ち、 私の目に映る親の姿は
‘自分自身の本性‘ を見ているに過ぎない。
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もし私が親の事を心の底から憎んだり、
怨んだりしたとするこれは、
完全な自己破壊
親と自分は同じフォーマット、
親の性格、や気質、人格、モノの考え方を完全否定してしまう事は
自分の根源 ( フォーマット ) を否定する事になってしまう
もっと突き詰めて考えれば、
私の持つ 、親への思いは
「 私自身の心 」 なのだ。
親を見ているようで、そうでない。
実は、自分を見ている事に他ならない。
親の人格を否定したり嫌ったりしている限りは、
自分が潜在的に持つ
要因 ・ ( 宗教では‘因縁‘と呼ぶ)
から永久に抜け出すかとは出来ない。
即ち、自分の意識が受け取る、
親の短所、嫌いな面は自分の課題であり
真摯に受け止め、自分がそれを打破
していかなければならない宿命をもつ。
血統はいくらあがいても変え
ることの出来ない宿命。
だからと言ってそれを悲観的に考えてはいけない。
現に今、ここに自分が存在すると言う事は、
存続するに値する血統であるからである。
これは、私に限らずどんな人間にもいえる事である。
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ダーウィンの進化論的に
‘自然淘汰‘ の観点で人間に血統を検証すれば、
存続する意義のない血統はとっくの
昔に滅びていたはず。
でも、現に今ここに存在する人間に関しては
淘汰されずに先祖から血脈を受け継いでいる。
如何なる人も
今、現に、生きているだけで、だたそれだけで
素晴らしい事であると思う。
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ならば、子供がいなかったり、親族すべて死に絶えた人、
そこで、血統が途絶えてしまうヒトは
存続意義がないので‘淘汰‘されという意味なのか?
それは違う。
どんな血統も、いつかリセットしなければならない時期が
必ずやって来る。
その時期に使命をもって生まれて来ただけの事なのです。
その場合、こういう人は、
血統維持の使命がない代わりに
普通の人とは違う、別の
大きな使命がある。
そういう意味で、重要な人間である。
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聖徳太子は偉大なる聖者であるにも関わらず
敵対勢力の陰謀で一族全てが殺され
完全にその血統を絶たれた。
しかしながら、聖徳太子の人徳と功績は、現代の日本に
今なお大きな恩恵をもたらしている・・・・・
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親との、確執を乗り越える事は、
先祖から受け継いできた課題を清算し、
新たなる飛躍を遂げる為のチャンスである。
まさしく
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受け止めるべきではないだろうか・・・
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嫌悪で終わったら悲しい。
親を怨む事は、 「 自分を怨む事 」に他ならず。
自分で自分を怨めば、無意識のうちに自分にとって
不利な選択をする。
「 選択 」が未来の自分をを決定する。
結果、悪い運命を呼び寄せる。
これ即ち、「 自己破壊 」。
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親を否定してしまったら、もう自浄作用はなくなり
自己の破滅へと向かう・・・・
不幸・不運・苦悩・挫折・不調和はこれが
原因であることが多い。
それを呪いや祈祷で打ち消すことはできない。
絶対に他力では解決できないのだ。
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いくら善行をしても、それはそれ、
個人レベルでの根本的問題( 種 )を
消すことはせきない。
それ故、慈善的で、奉仕の精神を持つ「 善い人 」が
生涯、、不幸や、苦悩、不遇の連続・・・
このような不条理な現象が起きる。
このことは、長年、人間観察や分析をして来た私の結論、
親の全てを受け入れ
親に理屈ではない、無条件の感謝・・・・
これが出来ないと現状を打破すると徒はできない。